2018年3月11日日曜日

東日本大震災の日。7年前の日記を調べた。ああー

大震災は、3月11日に起こった。日記には、12日に書いている。新聞も12日付けである。
★午後、ベッドで安静にしていた。2時過ぎ、テレビをつけると、地震の知らせ。そのうち「津波が来るから、即刻、避難しなさい」と盛んに呼びかける。10mと予測。やがて大波が押し寄せて、家も畑も空港も海水で飲み込んだ。「恐ろしい」と唖然。刻々増加する死者、行方不明の数。1夜あけて、被害の甚大さに、もう言葉はない。どうしようもない。何年か前に、三陸を旅行したことを思い出した。あの美しい海岸が、1夜のうちに廃墟となるとはー。粉々に砕け、火災が起きた状況を見ると、原爆の丘を思い出した。亡くなった人たちの冥福を祈る。今夜の夕食は、被災者の苦労を思い、オカズを減らそう。ポーランドのコンラードさんから「同情します。安全を祈ります」とメールが入った。世界の人が見守っている。
★先ほど、町のスピーカーから予告のアナウンスがあり、いま、けたたましく町にサイレンが鳴り渡った。午後2時46分、ホームで、自室で、死者、行方不明者、被災者のため冥福と復興を心から祈った。
★あの日、現地で、サイレンが鳴らなかったのが不思議で仕様がない、と日記にある。原発が破裂した。被爆者が出た。66年目の被爆。恐ろしい。チェルノブイリを訪問したことを思い出した。津波は20mにも達した。45万人が被災した。テレビで見る。もどかしさ。東北地方の東海岸の地図を出して、どの町、どの場所、どこら辺まで被災したのか、全体的に教えてほしい。それが知りたい、とある。あの時、全く、被災の状況が分からなかった。

1 件のコメント:

  1. 本日の記事と関係ないですが、聖母の騎士からDVDが届きましたよ。

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