2017年11月30日木曜日

ホームの外で楽しんだ。永井博士の心の歌に感動

昨日のホームの「日帰りドライブ」には、全員で18人が参加した。その中には、①園長神父さま、②バスの免許取り立てての男子職員さん、運転の担当。③バスの免許を持っている男子事務長さん、④女性の職員さん、⑤ボランチアの明子さんも入っている。お世話になりました。お陰で、車を押す女性2人も参加が出来て大層喜びました。
★最初、バスがホームを発車した時、園長神父さまの先唱で安全のためお祈りを捧げた。次に事務長さんが「今日の旅には、神父さまも2人、修道士さんも居られる」と一声あった。トマは思ったね。修道士さん、なんて、公に言われたのは初めてだよ。信者でも、トマには「お父さん」とか「オンちゃん」とか呼びかける。ホームに入って、長崎で、だよ。こう言われるのは、何やら抵抗を感じる。修道士さんと認められれば、気持ちは、いいね。気分はチト快調になる。
★ホームから離れて、皆さんも、にこやかな顔になり、楽しさ一杯を運んだバスは走りつづけた。女性の職員さんが「飴の入った小袋」を配る。バス内は静かな音楽が流れていた。トマは多くの巡礼者をお連れして、バスで長崎県内を周ったオラショの旅を思い出していた。あの頃は、よくぞ頑張って、解説もしたものだ。いい思い出です。
★雲仙岳の噴火は1990年に起こった。この時、初めて火砕流の恐ろしさを知った。あの煙のような熱風はテレビで見て、今も脳裏に残ったいる。しかし200年前の1792年にも実は島原に噴火があった。「がまだすドーム」資料館に最初に寄りました。勉強にもなります。
★それから雲仙に登る。憩いの宿「青雲荘」での「くつろぎ」楽しみは心を和ませます。カラオケで盛り上がり、音頭を取るのは園長神父さまで、神父さま自身もカラオケを熱唱しました。
★トマは、「古城」「長崎の鐘」を歌った。長崎の鐘の後で、滝神父さまが、マイクを持って、音楽ナシで「これは永井博士が2人の子どもさん、誠一(まこと)とカヤノさんに伝えたかった歌」と紹介して、歌い始めた。これが、前の歌のつながりで、モテましたね。いい歌でした。文句は次の通りです。
★(1)広い野原で何さがす、/いつか、なくした首飾り、/いえ、いえ、四葉のクローバを、/誰かにあげようと、さがしている。/あー、あー、その心を忘れずに。(2)いとし、両手で、なに祈る、/明日の幸せなれの夢、/いえ、いえ、つぼみの白バラが、/開けよ、咲けよと、ただ祈る、/あー、あー、その心を忘れずに。(3)小さき、お耳は何を聞く、/父の足音、母の声、/いえ、いえ、鐘の音(ね)、アンゼラス、/溢れる喜び、アヴェ・マリア、/あー、あー、その心を忘れずに。
★感動しました。拍手しました。よくぞ、こんな歌を覚えていたモンですと、感心もしました。音符は、ない。滝神父さまのアタマの中に音符がある。エライもんだと思いました。永井先生に就いては、大抵は知っているトマも、これは知らなかった。ビックリもしました。今度の「ドライブ」の収穫でした。
★今日から、12月7日まで、無原罪の聖母マリアの祭日前の9日間の祈りが始まりました。ホームでは、朝、ミサ後に唱えています。これは聖コルベの作った祈りです。念のため、祈りを載せました。お祈り下されば幸いです。

2017年11月29日水曜日

日帰りドライブ、楽しさと喜び。紅葉の美しさに感動


朝食は8時15分からです。日帰りドライブは9時出発です。あわただしい朝でした。島原から雲仙へ。小地獄の「青雲荘」に着いたのは11時30分でした。昼食、温泉、カラオケで盛り上がり、出発は午後2時30分でした。ホーム着は4時30分です。自室へ入ると、すぐ教会の祈りを唱えました。5時15分から夕食です。何が言いたいのかというと、時間が遅くなったことです。手を洗って、歯を磨いて、顔を洗って、ホットしたところでパソコンに向かっています。一番印象に残ったのは、車窓から見る秋の終わりの景色、紅葉の美しさでした。内容については、また明日でも記しましょう。楽しい、満足した一日でした。

2017年11月28日火曜日

生きているから、花も咲く。ホームも色々行事あり

ホームの隣、湯江教会の祭壇の生け花です。毎日、この教会で、早朝は、教会の祈りとミサ、午後3時15分からロザリオと夕べの祈りを共同で捧げています。祈れることは幸せです。「生きているからこそ、花も咲く」。そんな言葉もボンヤリと考えました。最近の気持ちは、どうですか?
★人生には思いがけない苦しみ、困難が来ることがあるんですね。それでも生きなければ、ならぬ。十字架を背負わなければ、ならない。神はそれを望まれる。ツライですよ。でも受けて立つ。最後まで背筋を真っ直ぐにして生きたいと思いますよ。
★金祝のお祝いの時に、お会いした五島・福江のスエミさんから「ふくれ・まんじゅう」を送りますからね」と声をかけられた。ありがたいことです。オラショの旅で、五島を巡礼した時、いつも「ふくれ・まんじゅう」の贈り物を頂きました。食べて、ゲンキが出て、笑いがバスの中で起こったものです。懐かしい思い出の「まんじゅう」です。ホームの栄養師さんに「ふかして」もらって分けて食べました。
★今日は、午後から車で20分ほどの歯科医院へ歯の治療に出かけます。台に上って治療に1時間はかかります。帰って来るのは4時前でしょう。
★明日は、ホームから「日帰りドライブ」に出かけます。9時出発だそうです。帰りは遅いでしょう。行先は雲仙の「青雲荘」です。残念ながら紅葉はもう過ぎたでしょう。豪華な昼食や、温泉、カラオケなどが楽しめるでしょう。ホームに居ても、結構、動き周る行事があります。「ホームにお世話になるなら、ゲンキなうちに入りなさい。生活に慣れる経験も必要です」と勧めます。

2017年11月27日月曜日

今年も歌って聞かせてくれた。東長崎教会の皆さん


ホームに来る慰問は、多々あるわけでは、ありません。年末が近づくと、毎年、来て下さるのが、このメンバーです。各個人の車に便乗して、約1時間はかかるでしょう。東長崎のカトリック教会の聖歌隊の皆さんです。聖歌はもちろん、「長崎の鐘」や、その他、懐かしい思い出の歌など、1時間ほど歌って慰めてくれました。善意が通じて、胸が篤くなります。激しい踊りの「ソーラン節」もありました。小学生、中学生が踊っていた。ゲンキやなァ。カッパツやなァ。子ども達が作った「クイズ」もあった。ちゃんと絵も準備していた。今年も歌声ありがとう。楽しい交流のひと時を過ごしました。楽しみにしております。

2017年11月26日日曜日

久義さんのファイルの行方は、どこだ?心配したよ

茨城の久義さんから、ホームにリンゴ2箱が届いた。「金祝のお祝いに参加したい。お土産を持って来ないから、リンゴを先に送ります。大曾神父さま、西山神父さま、村山修道士さん、トマさんで分けて食べて下さい」。トマは10個取って、後は3人で分けた。蜜が入った美味しいリンゴだった。自室の周辺の信者女性たちと食べた。
★久義さんとは、ご縁がある。彼が聖母の騎士園から、学園(小神学校)に入学する時、中学生の彼に「ラテン語」を教えた。当時のトマの日記手帳に記してある。1954年(昭和29年)2月20日「夕食後、久義にラテン語を教える。第1活用、第1変化、第2変化、来週は形容詞に入る」。2月28日「明日から代名詞に入る」。3月4日「神父さま、修道士、トマ、久義を呼んで茶話会」。3月27日「久義のラテン語、第5変化」。4月9日「久義、他2人の入学者も居た。神父さまと送別会。久義は小神学校へ行った」。「久義に冗談を言った。『ラテン語5の成績でないと帰ってくるなよ』。今となっては、日記の記事も懐かしい。
★金祝の当日、教会の中で、今からミサが始まろうとする時、久義さんがトマの席の横に来て、声かけた。「誰だ?あなたは?」「久義だよ」「ええ?変ったな。社長サンの如くある」。すると久義さんは、ファイルに収まった手紙のコピーを渡した。「この手紙で、人生、力づけられた」と言って、彼は少し涙ぐんだ。パラ、パラとめくれば、小神学校へ移った年の久義宛のトマから手紙だった。いま残念に思う。あの時、久義さんを写真に撮ればよかった。ミサが終わり、記念のパーティとなる。大勢の人数で、久義さんと話す機会を失った。
★パーティでは、トマは枝美子さん(竹内管区長神父さまのお母さん)の隣に座って、食べ、話し、すっかり好い気分になった。久義さんのファイルは、イスの下、床に立てて置いた。用件があって、席を外して、そのことでファイルの存在を忘れてしまった。帰りの車に乗って思いだす。高原修道士さんに頼んで会場を探してもらった。「ない、よ」の返事。がっかりしてホームに帰った次第です。
★その夜、枝美子さんから携帯に声が入った。「トマさん、大事な物、わたしが持っているからね。ハハハ(の笑い声)」。ああ、有ったのだ。安心して眠れた。翌日、ファイルは届いた。改めて、当時、自分が書いた手紙に遭遇したわけだ。久義が小神学校に入った年に4通。3年後の1957年の手紙が1通。年代の記載はないが、退会して、結婚する話があった頃の手紙が、2通あった。「秋になると、結婚式ですね」。そして長い年月が経過した。昨年か、結婚50周年の金祝を迎えた、と通知があった。こうした一連の流れを考えると、ジンセイって本当に長く、様々な出来事、出会いが起こるんだね、そう、しみじみ思います。久義さん、君の写真をも撮らなかったのが、残念だよ。この日記に載せたかったのに。リンゴでガマンするしかないよ。
★ファイルには、彼が入学する前にトマが書いたラテン語の手紙が残っていた。「いま読んで意味が分かりません」

2017年11月25日土曜日

「トマさんのことば」の2人に出会った。沖縄の司祭

金祝の日に、久しぶりに野々村哲さん、塩沢美樹さんに出会った。「トマさんのことば」の編集者です。今は、トマが撮った「昭和の修道士たちの写真集」をまとめて下さっている。白黒の写真で、下地になる写真を見せてくれた。ゼノ修道士、セルギウス修道士、カシアノ修道士など、ポーランド人の修道士、それに日本人修道士たちの生活写真、ポーランド・ニエポカラヌフ修道院の修道士たち、などなど、1970年代の写真で、懐かしい写真があります。「眠らせるのは、もったいない」意向で、取り組んでいる。どういう写真集が出来るか、これも楽しみにしています。期待しています。
★写真に収まっている、左から2人目は、稲国安彦神父さまです。沖縄の教会で司牧・宣教に活躍している。トマが小神学校(中・高校)のときの同級生です。9人居た同級生は、今、修道会に残るのは私たち2人になった。9人の内、3人が司祭になった。病気で既に帰天した。終戦直後のクラスだから、もう古い仲間です。稲国神父さまは、元気で、ゴルフもプレーしている。彼にも久しぶりに出会った。旧交を温めたというところです。
★ホームで今日は、火災非難訓練があった。老人にとって火事は恐ろしい。夜間の火事ともなれば、どいう状況になるか、考えただけでも暗い気持ちになる。だから皆、真剣に応じた。
★12月11日、月曜日。午後6時から、長崎のカトリック・センターで、コルベ神父の映画「二つの冠」が上映されるが、これは無料だが、要入場整理券で、教区本部(電話095-842-4450)に電話をして下さい、ということです。

2017年11月24日金曜日

ルーマニアとニッポン。2人揃って似合いの兄弟だよ

いつも出会ったら揃って写真に撮る2人です。名前は、ペトロ・イシトク神父さん。そう、もう何年になるかなァ。ルーマニアから「チビ」の神父がやってきた。2人揃って写真に撮ったとき、あまりにも格好が似ているので、高感度だったよ。
★「ニッポン、好き、好き」。長崎の聖コルベ館で2人は仲良くなった。見てください。いつになっても2人は、似たり、よったり、でしょう。優しいペトロ神父さんの動作・仕草が気に入った。
★この写真を見て、「チョッと、待てよ。ペトロよ、君は日本へ来て、ボクより小さくなったんじゃないか。たくさん食べているか。牛丼、食べて大きくなれよ」
★思えば、ボクの願いは、ペトロ神父と一緒にルーマニアへ行くことだった。本当だよ。マジメに考えていた。ルーマニアを2人で手をつないで教会を巡礼したかった。とうとう、その願いが叶わなかった。思い返せば悲しいよ。ルーマニアはカトリックの大きな教会があると聞いている。今度の金祝で、2人は出会った。今度は会っても、あまり詳しくは話さない。握手するだけで、心は通じるサ。東京の赤羽教会で、ミサ、お説教で、頑張っているのを聞いている。ホームにも、ゆっくり来て欲しかったよ。トマの狭い自室には、ペトロ神父さんがルーマニアから持ってきた織物のオミヤゲが飾ってある。赤色が部屋を引き立てているよ。これは離さないからね。ペトロ神父よ、兄弟よ、長崎のトマを忘れなさんな。

2017年11月23日木曜日

金祝・銀祝のお祝い。ミサと記念撮影と祝賀パーティ

「皆さん、おめでとう」。皆さん、ニコニコで、胸躍らせて、長崎・聖母の騎士で、お祝いがあった。司祭叙階50年金祝2名。沖縄の押川司教さまと、長崎の崎浜神父さま。修道誓願金祝2名。愛知県春日井の斉藤修道士さまと、長崎の山下修道士さま。修道誓願25年の銀祝は東京・下村修道士さま。以上、5名です。沢山の人たちからお祈りと、喜びの言葉のお祝いを受けました。
★まず、感謝の荘厳ミサが行なわれ、崎浜神父さまが説教された。この50年を振り返ってのお話でした。大浦天主堂で叙階されました。半世紀の長い年月、本当にご苦労が多かったでしょう。この日を迎えられたのは、「神の恵み」と誰もが思い、感謝の祈りを捧げました。参列者には、東京や京都、五島からも大挙して来られました。
★「やっぱり、いいですね。こんな祝いに参加できると、知人、友人、思い出の人に、親しく声をかけてもらった」。これからも元気で生きつづけたいと念じました。
★愛知県春日井の斉藤修道士さまは、かつて2年間ほど、聖フランシスコ園に勤めていました。それでホームからも斉藤修道士さまをお祝いして参加しました。一緒になって写真を撮りました。金祝の沖縄・押川司教さまを囲んでの記念撮影です。これからも最後まで神さまへの道を歩んでください。押川司教さまも一言と言われて、「お祈り、お祈り、これが一番大事です」と強調されました。

2017年11月22日水曜日

故・川添神父が詠んだ一句、コルベ神父の汚れ椅子

今朝のミサは、入江さんの依頼で、先日、帰天された長崎教区の司祭、川添猛神父さまのために祈られた。85歳。上五島の出身だった。
★私が長崎のクリニックへ診察へ行くとき、時々、入江さんも便乗して、カトリック大司教館に引退しておられた川添神父さまを訪ねて食事などをしていた。入江さんは熊本に住み、川添神父さまも熊本で司牧されている。その辺の知り合いだろう。
★川添神父さまは気さくな人柄であり、俳句も詠まれる。入江さんは黒の背広に、黒のネクタイで葬儀に出かけた。「葬儀ミサには、司教さま、司祭が120人は居ただろう」と帰ってから報告し、このカードをくれた。ニッコリ笑う故・川添神父。「ああ、この神父さまだ」。お会いしたことはある。俳句が1句、添えられてあった。「咲き終えて、ぺんぺん草の、吹かれをり」
★私は直接に川添神父さまと語り合う交流はなかった。聖母文庫で本を出している。今日は、その本を探して、修道院やホームの本棚を周った。「あった、1冊、みつけたよ」。230ページの本に、53の短編の文章が載っている。ページの合間に、幾つもの俳句があった。文章は軽い文脈で読みやすい。ページをめくっていくと、「コルベ神父」を見つけた。「なんだろう?」
★「この世に勝者、敗者があるのだろうか。それは人間というピエロたちが演ずる劇の一こまにすぎない。アウシュヴィッツの収容所で死んだコルベ神父は、ナチスの側からすると敗者であった。しかし神は、十月にかれを勝者(聖人)と宣言するのである」。ここで俳句、一句、「空梅雨や、コルベ神父の、汚れ椅子」
★今日は、雨。この本を傍に置いて、過ごした。愉快な、優しい、くだけた話を好む神父だった。ロザリオで冥福をお祈りした。

2017年11月21日火曜日

女子高校生からのお礼の手紙。若い字と文脈に喜ぶ

今月の初め、長崎・聖母の騎士で、旅行の女子高校生たち185名に語り部を勤めた。そのお礼の手紙が、届いた。旅に参加の高校二年を代表して「りな」さんが書いた。丁寧な、きれいな字で、文脈も立派、3枚に及んだ。
★「夏休みに『十七歳の夏』を読んで、戦争や平和、神の愛について考えたが、実際にお話を伺い、戦争は私たちが想像していたより凄惨で人間の本性をあらわすものだと知りました」。この『本性』の言葉に、「ああ、わかってくれたのだ、な」と感じた。
★生徒さん達の旅行・出会いの記念に、皆さんに、ハガキ版のカードを贈ったが、もちろん言葉はそれぞれ違っていた。「りな」さんには「他人と比べるな。あなたにも、いいところは、ある」が当たったそうだ。「これは今の私に一番必要な言葉と感じ、この言葉を胸にとめて、他者との関係を大切にしながら、自分らしい人生を歩んでいきたい」と書いてあった。
★早速、私は今朝から返事を書いた。「旅とは①本物を見ること。②地元の人と出会うこと。③自分が少しでも変ること。それらが実現すれば、より楽しい旅になるでしょう。お互いの交流が少なかったのが心惜しいが、私の話の内容は忘れても、『十七歳の夏』を読んだこと、その著者の老いた修道士が懸命に話したことは、覚えてくれて、語り草にして下されば有りがたいです。あなたの才能とチャンスを利用して豊かな人生を築いてください」と記した。封筒には、「りか」さんのために、小さな本「トマさんのことば」(私のサインと、「りか」さんの名前入り)を同封し贈った。
★高二の代表として手紙を書くのだから、心の負担もあったでしょう。小さな本だが、「りか」さんの傍に置いてくれれば幸いに思う。昨日、手紙を貰って、今朝、返事を書いて、何んだか今日は若い気持ちになるのを感じた。

2017年11月20日月曜日

カレーの五島ウドンにはタマゴが1つ入っていた

シンプルな昼食だった。カレーウドン。五島のウドンです。中細メンです。おいしんだな、これが。タマゴが1つ入っていた。小皿の2個は、ナンだろう?
★左隣の席は、滝神父さま。「トマ、ブログ、読んだぞ」。最近、ブログの読者の最も近い人は、隣の滝神父さまになった。「悲観するなよ。色々言う人も居るかも知れないが、いい働きをしている。聖コルベ館に居た時よりも、な」。理解してくれる人が傍にいる。楽しみにしてくれる隣人が、ここに居る。嬉しいよ。
★テレビを見ていたら、キュッと胸を打つセリフがあった。「ここに居た時間は、決してウソではない。もう1回、信じてみませんか。人生を」。瞬時に、心に飛び込んで来たんだな。ホームに居ても、決してウソの時間じゃない。生きる意味はある。希望は捨てないぞ。滝神父さまも「悲観するな」。そう言ってくれているじゃないか。グッと、胸を打っんだね。「これぞ」と思う言葉、セリフは大事にしたい。ピッタリ合うセリフに出会うと、嬉しくなる。発見の気持ちだよ。
★今朝の祈り。「神よ、ホームに居ても、私たちは、お互いに助けあい、協力し合って、幸せへの道を歩みます。神の子どもとしての自覚を忘れず、クチ・言葉をつつしみ、明るい表情で日々を過ごし、ホームのどの人にも挨拶で愛を示すことが出来ますように」
★そして今朝の福音を聴いた。「イエスは問うた。『汝、何を、してほしいか?』。目の不自由な人は答えた。『見えるように』。イエスは言われた。『見えるように、なれ。汝の信仰が、汝を救った』。民衆は、これを見て神を賛美した」
★今朝も、善い朝が明ける。そして朝から入浴もした。五島ウドンも食べた。「おかわりを」と栄養師さんが大皿に盛った「うどん」を見せたが、「もう、だいじょうぶ」

2017年11月19日日曜日

広島市から車でご夫妻訪問。ご縁つづけて感謝です

今朝、広島市から、岩本さんご夫妻が車で来られた。日曜日のミサで一緒に祈る。ミサの後での写真です。これで3度目の訪問だが、ホームを案内しながら、自室で語り合った。ご夫妻は、「エンジェル・キャブ」(タクシー・バス・霊柩車の会社)を経営しておられる。創業60年を越えた。社長さんです。鹿児島で、全国バス協会の大会があったので、車で回り、帰路まえに寄られたとの事でした。
★奥さんの八智子さんとは、お母さんがご健在の時からの「お付き合い」になる。もう40年前になろうか。私が「長崎オラショの巡礼の旅」を実行していた時、初めて2人で参加された。2度目は、幼い子供さん達を連れての参加となる。以来、私が広島へ行ったり、長崎へ来られたり、次男くんは、聖母の騎士学園で学んだ。今日の日曜日のミサには、大曾神父さまや西山神父さまも一緒に祈っていた。大曾神父さまは校長で、次男くんが学園でお世話になったのでご縁がある。その次男くんも今では3児の父となる。西山神父さまはパパさまに日本語を教えて、日本へ同行された事で知っている。八智子さんは、大曾神父さまに話しかけて、お礼を述べた。大曾神父さまも嬉しそう。90代に入られても、しっかりして居られる。訪ねてくれるのは喜びです。
★昼食は、車に乗せてもらって、有明海の海沿いの例の食事処で、楽しい食事のひと時を過ごした。ホームまで送って頂き、お別れした。最後に広島でお会いしたのは、3年半前になるか。あの時、ご主人から連れられたお店の、本格派の「テール・スープ」の美味は忘れない。それを語って、懐かしかった。「また広島へ、おいでよ」「ウン、まあ、ね」

2017年11月18日土曜日

あわただしい1日。きょうも暮れる。平安、無事

雑貨のスーパーです。昼食後、しばらくベッドに横になっていると、はや、2時に「ショッピング」月に1度の買い物に出かける時になる。ホームに暮らすことは、1軒の世帯に生活する状態です。何も、可も、必要になる。だから買い物には参加します。写真の店は、食べ物以外は、ほぼ揃っている。加湿器の水差しを買った。ここが終わると、次は「エレナ」食べ物のスーパーです。ブドウ、イチゴ、ふり掛け、チョコ、歯磨き、など買いました。赤い小型バスに乗って、15人ほどが買い物に出かける。
★午前中は「懇談会」があった。来月の予定や、看護師さんからの注意点など伝えられる。こちらも、はや、12月。年末です。誕生会や忘年会や、慰問や、高校生達の奉仕や、クリスマス会など、「出し物もあるので、お楽しみに」と職員のお言葉でした。
★11月も半分は終わった。23日には、長崎・修道院で、修道会の司祭叙階金祝、修道誓願金祝が行なわれる。会の司祭・修道士が顔を揃えるので、楽しみに参加するつもりです。12月になると、期待のコルベ神父の映画「二つの冠」がある。これも楽しみです。直ぐクリスマスでしょう。1月、お正月でしょう。年賀状もくる。2月は、トマさんの修道名「聖トマス小崎(日本26聖人)」のお祝いが来る。3月は誕生日。90歳だよ。こうして未来を考えると、色々楽しみがあるね。結局、いつまでも変らぬ元気で居ることだよ。

2017年11月17日金曜日

ジンセイ、生きていること自体が、ふしぎ。本当に

この言葉は、すごく人気があるのです。自分でも、そう思います。
★今朝は、信仰って、横にも縦にも「つながり」があると思いました。両親から受けている。隣人と一緒にロザリオを唱える。バチカンに行って、聖ペトロ大聖堂・内部の荘厳さに感動もした。外海の隠れキリシタンの信仰遺跡も知っている。今日はハンガリーの聖エリザベトの祝日だったが、1200年代に生きた王女で、3人の子供の母となり、ご主人が亡くなると、清貧の生活に徹して、貧しい人たちを助け、病院も建てた。何百年も前から同じカトリックの信仰を生きている。丁度聖フランシスコの時代でもある。
★私たちが今、信仰している信仰と全く同じなのか。そう、同じです。その根本は聖書だからです。今朝は、そんな事を考えた。でも信仰は、もう1つあると思う。それは私自身の信仰です。どれだけ本物の信仰に生きているか。本当に信じて行動しているか。反省の余地は色々ある。罪ある人間、弱い人間からの脱却。生きて改善する所は多々あるとも思った。
★今日は、ホームのお年寄りの葬儀・告別式が行なわれた。親しく、知っている人が亡くなるのは寂しい。1人の人生が終わった。「ふしぎなこと、多々あった人生だった」。結局、誰でも、そう言える。ジンセイって、本当に分からない。ニンゲンが生きていること自体がふしぎなのです。

2017年11月16日木曜日

高原修道士さんの誕生日。2人でお祝い。頑張る男

定期の診療日。朝から長崎へ。この日は何やら気が重い。高原修道士さんの運転で車は走る。2人とも、クリニックで診察を受ける。「タガワ・ブラザー」。先生の大きな呼び声に、待合室の人の目が自分に向けられる。「お世話になっています」。大声で診察室に入る。部厚いカルテ。通院の年期を示している。先生は「どこかで語り部を出来ないか」の意味の言葉で私に未だ期待している。フタ言(こと)、ミ言、先生と交わして終わる。血液を採取される。薬の処方箋を貰う。体調は、いいのか、不具合なのか、自分でも、何とも言えない。
★高原修道士の誕生日。昭和34年(1959年)の今日、熊本市に生まれる。満58歳になる。彼には、どれほどお世話になっていることか。彼の手引きでホームへも入居したし、毎月、こうしてクリニックへも連れて行ってもらう。感謝の意味で、お昼ごはんは、御ちそう、しよう、と途中の行き付けのレストランへ立ち寄った。牛肉専門のお店です。お酒は昼間だから飲めないが、デッカイ、ステーキに、テール・スープ、その他いろいろ、満腹する程、(いや、わたしが)食べて、お祝いした。修道士とはいえ、日常、いろいろストレスが溜まる事もあろうが、頑張ってください。修道士の召命も全うしてください。そう願いながら、彼の運転でホームへ戻った。

2017年11月15日水曜日

ある日の電話。手紙も来る。赤岳・出身の女性から

突然、廊下のスピーカーで名前を呼ばれて「電話です」。自室に近くに電話機がある。女性の声。「被爆65年、2010年の原爆の日に、浦上天主堂で、『焼けたロザリオ』を買い、何々様とサインも頂いた。懐かしくて電話した」
★確かに覚えがある。浦上天主堂の庭で、修道服を着て、『漫画・焼けたロザリオ』の販売を行なった。自伝の漫画で、主に原爆体験と、コルベ神父も描かれている。東京の漫画家が描いた作品である。
★それにしても、急に電話で一方的に言われて、当方、アタマの切り替えが出来ず、戸惑った。「サインして頂いたのが嬉しい。今も本を手元に置いて、親しんでいる」という。電話は、それで終わった。
★しばらくして手紙が届いた。「私は、長崎・赤岳の生まれです。戦後は聖フランシスコ病院で看護師として、秋月先生の元で働きました」。外国人院長シスターの名前も書いていた。トマも秋月先生はよく知っている。診察も度々受けた。
★更に心引いたのが、『赤岳』だった。外海へ行く途中に、樫山集落がある。ここが昔は隠れキリシタンの里だった。樫山に赤岳はあり、キリシタン聖地と言われた。浦上のキリシタンたちは、密かに岩屋山に登って、遥か赤岳の方向を眺めて祈った。ここで3度祈れば、1度は樫山の巡礼になる。3度樫山に巡礼すれば、1度はローマに巡礼した事になる。そう信じて、憧れながら密かに祈った。『焼けたロザリオ』のこのページに心引かれたのだろう。手紙には、こう書いてあった。「先生の本には、樫山の赤岳、聖フランシスコ病院となつかしく私の大切なご本です」
★私は返事を書いた。「赤岳、樫山」に付いては、自著の『長崎オラショの旅』の241ページから詳しく書いていますので、買い求めて読んでください」。今では書けない特別な記事になっている。自慢の作でもある。それにしても、7年前に買い求めた1冊のマンガが、いま電話になって、手紙になって身元に来るなんて、その「つながり」のお恵みに感謝した次第です。赤岳・女性の信仰の継続を祈ります。

2017年11月14日火曜日

死者の月。想い出す人。伯父さんと、残された手紙

ホームの隣、湯江教会の祭壇の生け花です。11月は死者の月で、ミサの後、祈祷書から「全ての死者のための祈り」を捧げている。死者を想うとき、引き出しの直ぐ手元に、1通の手紙がある。古い手紙で、昭和26年1月21日の「黒崎局」の消印が押されている。切手は8.00。(8円)だろうか。差出人は、黒崎の藤之助・伯父。
★藤之助伯父は、北朝鮮で、一緒に暮らした近い親戚だった。苦労しながら引き上げてくる。終戦1年後、長崎へ帰ってみると、頼りにしていた私は神学校に入っていた。最初は不機嫌だったが、私が決意を話すと、涙はいつしか笑いに変っていた。伯父は生涯独身で、生まれた黒崎の家の隣に小屋をもらって、晩年を過ごした。神学校の夏・冬の休みには、その家で伯父さんと暮らした。帰国して5年後の手紙になる。鉛筆で、ゴツゴツした字で3枚も書かれている。
★「玉、みがかれば、光、なし。人も、学びて後にこそ、真の徳はあらわるれ。これから一生懸命、真理を勉強して、真の徳、第一、謙遜の徳が出来て始めて、世の人を感化させる事が出来る。間もなく修練も終わり、いよいよ誓願式、是非、入れてもらわねばならんが、満が一、誓願に入る事が出来んでも、力、落とすな。騎士院には、お前の出来る仕事はある。武士は君前、討ち死にを名誉としたとの事。お前は二回も、大手術、死の直前にあひながら、生を受けて居るのだから、この世の幸に未練を残さず、聖母の騎士だ。何やらせて、もらっても、聖母の御馬前で、討ち死にせねば、ならん。伯父、イヤ、親子揃って、聖母マリア、聖ヨゼフ様によりすがり、聖母マリア様に手を引かれて、イエズス様のお後を、おしたい申そうぞ」
★この手紙は、一部分だが、その年の9月に、64歳で亡くなった。なぜ、この手紙を手元に置いているのか、わからない。手紙を貰った、その当時が私の人生で最も辛い時であった。藤之助伯父のために祈ろう。

2017年11月13日月曜日

朝夕は冷え込みます。入浴は楽しみ。カゼには注意

ホームの風呂は上等です。銭湯を小じんまりした感じです。浴槽の湯は、いつも清らかになる機械があり、水質は時々計器で保たれる。毎日でも入浴可能です。男性は午前中に、女性は午後から夕方まで入れる。浴場の写真は前にも紹介しました。
★今日も湯に入りました。入所当時は介護をされて入浴していた。支援の2でした。しばらくして、介護をやめて、2人で入るよう心がけた。入江さんか、キリエさんです。時が経てば、体調も変る。最近は私が1人で入っている。今日は入江さんが上がるところでした。誰も入りに来ない。静かな、気兼ねなしの湯です。のんびり湯に浸かると、幸せを感じます。ただ1人の時は、急に倒れたら怖い。心して、注意しながら入っています。
★風呂から上がると、「絵手紙があります」のお知らせ。「え、ちょっと、待ってよ」。自室に戻り、コップ一杯のぬるま湯を飲み、野菜のジュースを飲み、カラダを落ち着かせてから、絵手紙の場へ行った。先生に先ず文化祭のお礼を言った。「お世話をしてくださって有り難うございました。トロフィーまで頂いて」「第50回の記念だそうです」。5、6人の描き手が居た。珍しい名前の花をハガキに描いた。紫色の花で、花に点々がある。「これ、なんという花ですか?」「ホトトギス、です」

2017年11月12日日曜日

ボクの名前はバナナだよ。皆さん、かわいがってね

ロザリオを唱えて、教会からホームの廊下を歩いて、介護の詰所へくると、にぎやかだ。「どうした?」。男性の職員が又、ネコちゃんを連れて来た。
★10月半ばに、ネコちゃんの写真を載せた。あれは「みかん」ちゃんだった。「今日のは、バナナ」「なんビキ、いるの?」「4ひき。実家から連れてきた。オス2匹。メス2匹」。名前が皆、ユニーク。オスは、みかん、バナナ。メスは、イチゴ、モモ。みんな、クダモノのなまえ。
★生後、半年は、なろう。ネコは黙って、「ニャン」とも、「スン」とも、言わん。ここは、どこだろう?そんな目。脳裏に、どう考えているのか。嫁さんも、ネコ好きだとか。
★ボク(トマ)は、イヌが好き。そのイヌも、柴犬というか、アキタけん、とか、可愛さよりも、シャンとした小イヌが好き。そっちの方が癒される。イヌに忠実さもある。だがホームにイヌは来ない。ネコは、なにかしら寂しそう。
★思い出すなァ、ライモンドよ。いい名前を貰っていたのに、行方知らずとなった。今でも、あのネコ、ライモンドは忘れない。
★日曜日。何事も起こらない。平和な、静かなホームです。

2017年11月11日土曜日

コルベ神父の生涯・新作映画。12月に上映。期待大

昨年の8月9日、長崎・原爆の日、母の命日でもあった。長崎・聖母の騎士に、ポーランドから映画製作の取材班が来て、撮影を始めた。その映画が完成し、今年は、ポーランド、イタリアで既に上映し、いよいよ日本へ。12月に東京(3回)、長崎(1回)の上映が決まった。
★もちろん聖母の騎士修道院は映像に入っており、取材に応じた小崎修道士、松下修道士も出ている。
★長崎では、12月11日(月)、長崎カトリック・センターで、午後6時、開演となる。1回きりの上映となる。
★東京では、3回。11月25日(土)から、3週間にわたって「ポーランド映画祭」が開かれて、30本ばかりの映画が上映される。その中で、コルベ神父の生涯「二つの冠」は、①12月9日(土)15:40。②12月13日(水)16:00。③12月15日(金)11:00。会場はJR恵比寿駅東口改札より徒歩5分。恵比寿ガーデンプレイス内・東京都写真美術館ホールになっている。
★イタリア語版を見た神父さんが、「小崎さんも出ている」と言うので、楽しみにしている。どんな映画になっているのか。興味がある。12月が楽しみです。東京・長崎の近郊の人は、ぜひ映画の鑑賞を勧めます。
★女子高校生たちに話しに行った際、聖母の騎士で、偶然にも、映画上映の関係者に出会った。東京から、大使館のポーランド人2人、長崎で宣教するポーランド人神父さん2人、本当に偶然でした。導きだったかも知れない。それで詳しく分かりました。
★コルベ神父は、子供の頃、町の教会の聖母マリアの祭壇で、聖母マリアから2つの冠を見せられた。白い冠と赤い冠。コルベ神父の生涯がその生き方を示している。福者になる時は「証聖者」で、パウロ6世教皇さま初め全ての聖職者の祭服は白色だった。11年後、聖人になる時は、ヨハネ・パウロ2世教皇さま初め全部の祭服は「殉教者」の赤色だった。これは目に見える形で、2つの冠が実現したことを表している。
★「2つの冠」映画を見に行きましょう。

2017年11月10日金曜日

ホームの心遣い。絵ハガキを額入り展示。有り難い

町の文化祭に出した「絵手紙」が戻ってきた。職員さんが「食堂の入口に展示しましょう」と掲げてくれた。賞状も、小さなトロフィーも、ある。車椅子の男性が、目を上げて見ながら「えらいモンですなァ」と誉めまくる。恥ずかしいですよ。「大した事はありません」「よー、書けとります」
★書道は自我流だし、絵は、長崎南画しか習った経験がない。でも、絵手紙は楽しい。3年もホームに居れば、月に1度の絵手紙で、2、3枚ほど描けば、かなり多くの絵手紙が手元に残る。それらの中から、先生が「今年は『額』に入れて出展しましょうね」。特別奨励賞を頂いた。昨年は書道で頂いた。「特別」が付くのは、老人ホームで頑張っているからお情けでの章か。素直な気持ちで頂きます。町の、暖かい心に感謝します。
★ホームのある町は、「高来町」という。この辺は、「湯江」。清流があり、滝があり、江戸時代から紙すきが盛んだった。今でも1、2軒はある。賞状の紙は「湯江」ですいた紙だそうです。賞状にも値打ちがある。
★「高来中学校」で、ニガイ経験がある。サッカーの合同試合があって、椿原中学の校長だった私が、開会の挨拶をすることになった。運動着姿の中学生たちを前に、壇上に上がった私は、これこそ、次の言葉が相当だろう。「ビビった」。冷や汗ものだったのを今も時折、思い出す。サッカーなどの雰囲気に慣れていなかった。
★高来には世話になりました。特に、高来中学校の校長先生には。いま、どうしておられるやら。

2017年11月9日木曜日

若い人からパワーを貰う。老人は賢明な教えを語る


今どき、女子高校生と向き合うのは、本当に楽しいことです。生徒数185名、先生9名の大人数ですからね。気持ちも盛り上りました。
★長崎・聖母の騎士教会です。先ずは恒例の「ハレルヤ」を合唱。指揮者が居て、すばらしい歌が聖堂内に響き渡りました。それから小崎修道士の出番、お決まりのお話しです。ちゃんと立って、30分ほど語りました。
★皆さんは自著「十七歳の夏」を読んで、読書感想文も書いている。気持ちは、すんなり「つながり」ます。いつも17歳の原爆の日の3つの体験から入る。女子高校生たちも17歳だからね。もし、あなただったら、どう生きる?人間は孤独だ。結局、「助けなかった。困難が来たら逃げた。仇なる人間を許さない」。これが人間の底辺の心情です。誰にでも、ある。孤独も、自己中心も。
★それを語って、コルベ神父の生き方に移る。私の生き方の裏返しが、コルベ神父の愛とイノチとなる。「助けてあげる。苦しみにも決して逃げない。ナチの兵士たちさえも許してあげる」「憎んで当然、恨んで当然、仕返ししようと思うのも当然でしょう。なのに、コルベ神父のような人も居る。それを見る時、どん底を味わう人間の世に、まだ希望がある」
★イノチを助けられた男性の話もする。3度、彼に会った。3度目は、91歳。彼は93歳で亡くなった。「恩は、もう、その人には返せない。別の所で、別の人に返していく。それが人生なのです」
★もう、この女学校にお話を始めて、27年になる。長い年月だよ。お話の後に、また合唱「愛」が聖堂に響きわたる。胸を突き上げられる雰囲気だった。場を聖コルベ館に移して、「聖コルベの部屋」の前で記念写真を撮る。女子高校生に囲まれて、ホームのことは忘れて、ご機嫌でした。
★1人の先生と、ツーショットで撮った。10年ぐらい前、生徒として聖コルベ館の見学に来て、小崎さんの話を聞いた。あれから大学を出て、勉強を重ねて、母校に就職し、今度は、生徒を引率して来ました、と嬉しい知らせを教えてくれた。
★女子高校生、先生方の皆さんに、ハガキ版のカードをプレゼントした。大分県の恵理子さんが作ってくださった。長崎・聖コルベ館訪問の記念になるでしょう。

2017年11月8日水曜日

浜松ひろみさんの便り。牛乳空パックで作ったイス

浜松の「ひろみ」さんから、久しぶりの手紙が届いた。写真が入っていた。それが、この写真です。ナンだと思いますか。牛乳の空きパックを36本使って、ありあわせの布で外側を巻いた「イス」だそうです。これが評判を呼んでいます。
★ひろみさんは、時々、ホームのマザーを訪ねて慰めているんですね。マザーが、夏・冬の衣類の整理を、正座しながら行なっていた。後で、腰やヒザが痛くなった。その話を聞いて、パッと「ひろみ」さん、閃いた。以前、見たイス。作り方を教えてもらい、孫たちのために作ったイスです。材料があったので、マザーのために作りました。
★「ひろみ」さんは、日記を読んでくれている。マザーにも日記を見せているそうです。マザーから「トマさんのことば」を送ってください、と願いがあった。送って差し上げると、マザーがホームの人に貸してあげたら、戻って来ない。また「トマさん」お願いしますと、そんな思い出もありました。マザーも、ホームの生活は大変でしょう。
★それにしても、イスの「M」の字は何でしょうか。ひろみさんによると、方子(まさこ)のMであり、マザーの「M」です。「まさこ」は誰か知りません。
★その後、ひろみさんが訪問した時の話です。「ホームの親しい人が、マザーの部屋に来て、イスを見つけて、誉めてくれて、イスを持って皆さんが集っている場所へ行き、見せびらかしたそうです。皆さん、うらやましがって、「わたしも、ほしい」と声があがった。「ああ、やっぱり、ね」。でも、ひろみさんは「材料、集めがタイヘンよ」と作り方を教えてあげたそうです。「ほんの小さな出来事が、私にとって大きな喜びになった」と手紙には書いてあった。
★今日は、朝、早めに日記を書いた。午前中から長崎へ出かけます。聖母の騎士で、女子高校生185名に語り部を勤める日です。楽しみにしています。高原修道士さんの運転で行きます。女子高校生たちは、昼ごろ到着して、2時間以上、見学時間に当てていますから、帰りは夕食前になるでしょう。少し雨模様です。女子高校生たちの交流は、明日、書きましょう。

2017年11月7日火曜日

「語らず聴きます」傾聴ボランチア女性。お疲れ様

月に1度、自室に来て、言葉のお相手をしてくださる。遠方から、バスを乗り継いで来られるので、大変です。自分からは語らず、意見をせず、ただ聴くだけ。辛抱もいるでしょう。こちらは何を語ろうか、考える。思ったことを、ポン、ポンと吐き出す。心の荷が軽くなり、自分のアタマの整理も出来ます。ありがたいことです。
★先ず①ホームの生活は、どうですか。②からだの調子は、どうですか。③何か、悩み事とか、心配事がありますか。④楽しみは何ですか。⑤生き甲斐はありますか。ホームに居ても、色々あるね。自分は、何が面白いのだろう。好奇心は、どこにあるのか、など考える。
★ステントの交換があった。これから老いていくと、交換の苦労はどうなるのか、先の事だが、心配になる。どこまで生かされるのか。ホームの規則に素直に従い、人と人との関係を大切にする。イザコザ起こさず、波風たてず、相手に気をくばる。あまり暗いことは思うまい。
★「ブログ、読んでいますよ」とボランチアの女性。「恥ずかしいな」と思いつつも、ブログ(日記)を書くのが楽しみです。「これ、書かないようになったら、トマは、ボケるよ」。そう言われているからね。1時間ほどで、女性は丁寧にお礼をして帰った。「こちらがお礼、しなければいけないのに」。写真、撮らせてね、と頼むと、あまり好まない表情だったが、応じてくれた。

2017年11月6日月曜日

李神父さまの韓国お母さん(ロザリオ・オモニ)来る

ホームの隣、湯江教会での写真です。左から、韓国・ソウルから李神父さまのお母さん。「ロザリオ・オモニ(母)」とトマ修道士は呼びます。いつもロザリオを唱えているから。次はトマ修道士。オモニには、韓国に2、3度行ったとき、お世話になっている。その隣は李神父さまの妹さん。日本の法政大学を卒業しているから、日本語は達者です。後ろと、妹さんの隣の2人は、お母さんの妹たち。日本は初めてなので、連れて来た。デジカメのシャッターを押したのは李神父さま。後で、李神父さまとお母さんの写真を1枚撮ればよかった、と後悔した。
★お母さんが、わざわざトマ修道士を心配して訪ねてくれた。李神父さまから聞いたことがある。「母の生活は、いつもロザリオ。外出の時も、バスの中でも、ロザリオを手に巻いて、車のハンドルを握る。夕食後は、母だけが、ゆっくりと2時間、3時間、お祈りをする」
★韓国ソウルの自宅の壁に、子供の頃から「フランシスコの平和の祈り」が掛けられていた。祈りの下に、「コンベンツアル会」の名が記されている。日本の明治大学を卒業した後、「母親は聖母マリアへの信心が深い。そこからマリア信心を大切にする修道会に入りたいと思った」。念願が叶って、一番喜んでくれたのは、母だった。トマ修道士が韓国へ行ったとき、お母さんは大事そうに、財布を開いて、無原罪の聖母の聖絵と、当時、神学生だった李さんの写真を見せてくれた。いつも祈っていたのだろう。息子のために。
★司祭になった李神父さまは、アシジの聖フランシスコ修道院で過ごした後、今は長崎・聖母の騎士の志願院に勤めている。韓国のオモニ(お母さん)は言う。「普通の神父ではなく、聖人の司祭になれ」
★お父さんはソウルで留守番をしている。李神学生が終生誓願をたてるとき、お父さん、お母さん、妹の3人揃って、聖コルベ館へ来た。「韓国では、長男が親を養うのが当たり前。ボクはそれが出来ない。残された親孝行は、母の望み通りの聖人の司祭になることです」。李神父さまは心の中で、そう思って祈っている。
★あまり時間が少ない面会だったが、韓国オモニは、ほほ笑みと、元気と、韓国饅頭のみやげを残して、惜しむ心でお別れした。

2017年11月5日日曜日

ブラジル宣教の松尾神父、来る。懐かしの、あの地

「やあ、久しぶり、神父さま」「3年ぶりだよ」。自室を訪問してくれた、ブラジル宣教師の松尾神父さま(写真・中央)です。右は案内の湯江修道院の院長・浜田神父さま。左は運転の長崎・聖母の騎士の川渕修道士さん。「ブラジルには思い出がありますよ」
★ずっと以前に、「日本26聖人」の映画を持って、松下修道士と2人で、ブラジルで上映会を開いた。移民の日本人や日系2世などのため、各地で上映して好評であった。お世話をしてくれたのが、松尾神父さまです。千六百Km離れた遠方から、24時間バスに揺られて、見に来た女性も居た。山脈で、老年の日本人司祭は巣箱にハチを飼い、「プロポリス」を生産していた。その司祭は、健在で、今もやっているという。
★その司祭と、若いシスターたちは、山あり谷ありの場所で、診療所や子供の家を建てて、病める者、貧困の子ども達の友となって奉仕の活動をつづけていた。小さな聖堂で、日本語のミサにあずかった。ふと祭壇の脇を見ると、ヒザの高さ程の木の板が立っていた。そこに刻まれた絵に目が釘付けになる。最初は、キリスト像に見えた。しかし、ジーッと見つめていると、それはキリストではなくて、人間の姿であり、私の姿であり、人間が十字架(苦しみ)を抱えている姿に見えた。
★人間は誰しも、このように苦しみを抱えながら、この世を生きている。何ぴとも、苦しみから逃れられない。そこに人間の、苦悩の問題がある。ブラジルには沢山の苦しみがあった。病気、貧困、孤児たち。とはいえブラジルを回って感じたことは、不思議と人間の肌の匂いに触れた思いだった。日本には物があり、豊かだが、無関心、無気力に落ちたかに見える。ブラジルには多くの悩みが有り、痛みがあるが、それらが激しくぶつかり合っている。日本人のシスターの言葉ある。「ブラジルの人たちは貧しいのに、こんなに皆が助け合う国民はないでしょう。自分は貧しいのに、何人の、他の子供の養育も、自分の家庭で行なっているのです」
★ブラジルの山奥で発見した「この絵」は、今も私の心の中に残っている。松尾神父さまに、この絵のことは話さなかった。彼は又、ブラジルに戻る。司祭になって以来、ブラジル宣教に人生を捧げてきた。その業績は尊い。もう老境に入っている。健康に気をつけて、がんばってください。

2017年11月4日土曜日

11月の誕生会。6人を祝う。職員の出し物は、何?

毎月初めの土曜日、誕生会。楽しみだね。職員さんの出し物がある。これは欠かすことの出来ない伝統だよ。
★今月お祝いする誕生日を持つ人は、6人居られた。
★山内園長神父さまの挨拶と、各1人、1人に、拍手の中で、「ハッピーバスデイ」を歌って、花束とお土産を頂く。笑顔があふれて、気持ちが、いいよ。心が乗ってくる。園長さまの先唱で、食前の祈りの「ァヴェ・マリア」。それから待ちに待った職員さんの出し物になる。
★「何の踊りですか?」「スイー、スイー、スイダラ節」「植木ヒトシの、あれですか?」「そう、そう」。音楽がなって、踊りながら、食堂へ入ってきた。この姿なら、盛り上がりますよ。一升ビンを持って、「ハイ、ナンとか、なるさ」。誰が、誰やら、ワカラン。看護師さん、調理師さん、支援員さんだった。皆さん、隠れた才能持っているよ。
★食事のメニュウーは、お赤飯、お刺身、ヒレ肉のソテー、てんぷら、酢味噌の和え、ジュース、どら焼でした。職員の皆さま、ご疲れさま。テキパキとお世話をしてくださった。食事の後は、歌自慢。やっぱり古い歌が多いね。肩の荷が降りたような、足の痛みも忘れたような楽しい一日でした。

2017年11月3日金曜日

町の文化祭。ホームからも出展。絵手紙に特別賞が


高来町の文化祭が今日から3日間行われる。会場は町の役場です。ホームからも、書道と絵手紙の作品を出展しました。ホームから20人近くの人が楽しみにして見物に行きました。瀧神父さまも行きました。会場の建物(支所)の巨大さに、先ずはビックリします。2階と3階に展示され、各グループや、個人の作品が色々な分野で展示されていす。
★去年は、私は書道で「特別奨励賞」を貰いましたが、今年は絵手紙が、同じ章に取り上げられました。ホームの入居者が描いたので、お情けの章と思っています。それでもホームの皆さんが喜んでくれました。「聖フランシスコ園」と書かれた書道の作品もあります。一緒に写真に撮りました。2階には、小・中学生の作品もあり、下の右側の絵は、中学生たちの絵の1部です。この絵を見て、最近の子どもは、絵の書き方もデザイン式になっているのだなァ、と思い写真に撮りました。
★ホームに戻って、昼食後、3階の部屋の仲間が集って、贈り物の冷やした大きな「メロン」を8つに分けて、章の祝いとして食べました。皆さんに喜んでもらうのが一番嬉しいです。今日は本当に好い日です。でも足が痛かった。