2017年10月18日水曜日

ホスピス病棟で別れた従兄の死から5年。祈った日

ホームの隣の湯江教会の祭壇の生け花です。
★今日は、従兄の光一の命日でした。2012年の今日、神に召された。ミサで祈りを捧げた。
★彼は、私の数少ない従兄だった。少年の頃からの私を知っている光一でもある。もう60年も前になるが、この従兄に憧れを持っていた。彼の自慢話だが、「戦時中は、航空兵で、当時は、プロペラ機を運転していたが、故障をして、山林に激突した。それでも助かった」と淡々として聞かせる従兄だった。7歳違いだったが、学生の私には、まばゆく見えた。その後、殆ど会っていない。
★福岡から電話があって、彼が入院していて、もう臨終だと言う。急いで列車に乗って、ホスピス病棟へ駆けつけた。彼はベッドに横になっていた。目を閉じている。名前を告げると、目を見開いて、うなずいた。もう何も語らない。私は、60年前の飛行機の話をした。すると従兄に温かい表情が現われた。確かに伝わった感触を覚えた。私は「兄さんは、どこで生まれたの?」と、彼のルーツを尋ねた。すると「たい・きゅう」と、はっきりした声で小さく答えた。「たい・きゅう」とは韓国の都市の名前だった。(当時は朝鮮と呼ばれた)。声をかければ、うなずいてくれる。むかしの、つながりが、戻るのを感じた。2時間ほど病院に居て、長崎へ帰った。その夜、ヨゼフ光一は神に召された。
★彼の葬儀に参加して、祈り、別れを告げた。棺の上には、長い剣が置かれていた。戦後は航空自衛隊に勤めて、二佐にまで昇進した。そのための軍刀だった。大勢の子た孫に囲まれて、見送った。
★私と、従兄光一は、戦争直後の混乱のときの思い出につながっている。少年の頃の思いを持つ者との別れは、辛かった。ヨゼフ光一の名は、忘れない。

0 件のコメント:

コメントを投稿