2017年10月11日水曜日

聖ヨハネ23世教皇の日。大改革を行なったパパ様

いつものように4時45分に起きる。教会へ入るのは、5時15分。決まっている。浜田神父さまと、車椅子の男性が居る。席に座ると、「毎日のミサ」の本を開く。今日は、「聖ヨハネ23世教皇さまの日」(任意)と記されていた。
★今日は水曜日で、始業早々、職員さん自室の掃除をしてくれる。終わってパソコンを開くと、この絵が出てきた。切手であろうか。「右側」のパパさまが、聖ヨハネ23世教皇さまで、左側は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇さま。この教皇さまには出会ったとこがあり、アタマも撫でられた。
★今日、日記で、聖ヨハネ23世教皇さまを取り上げたのは、時代を読み取って、教会も大きく改革するため、第二バチカン公会議を開催されたからです。その改革は、下々の修道士にも理解がわかるほどの大変革でした。
★例えば、司祭は1人1人ミサを捧げていた。ミサ使いをする修道士も大変でした。ミサはラテン語で、ミサ使いもラテン語で答えました。教会に祭壇は限られており、1人のミサが終わるまで次の司祭は待っていました。ミサも信者席に背を向けて捧げた。教会の祈り「聖務日課」もラテン語で、読むのに苦労しました。それが自国の言葉で、ミサをささげ、聖務日課も唱えることになった。聖体拝領台といって、祭壇と信徒席を分ける仕切りがあって、内陣がはっきり示されていた。それが取り除かれた。こうした変化に、とまどいを感じたのも確かです。
★公会議が終わって、50年が過ぎました。90近い修道士にとっては、人生の前半分は古い以前の仕来たりであり、後半が今の典礼、祈りを続行しています。以前のラテン語のミサ曲や、豪華な刺繍の入った祭服などが、今は懐かしい。子供の頃に覚えた「公教要理」が今も自分の信仰の理解の背骨になっているのは確かです。
★人は、「神から出て、神に帰る」存在でしょう。過去を辿れば、霊的には決して自分はリッパとは言えない。だが、清められて、ふさわしい人間になって神に帰りたい。弱い自分だが神に信頼し、神はいつも私と共に居られる。度々聞かされた。「神は愛して下さっており、必ず善いように導いてくださる」。もちろん神から与えられる試練もある。歳を取ると共に苦痛は増してくる。それもイエスの苦しみ、マリアの悲しみに寄り添って、受け入れて行きたいと思う。感謝と祈り。いつまで生かされるか、どんな苦しみが来るか、分からないが、すべては神の計らいに希望のうちにお任せしよう。2人の聖人に取次ぎの祈りをささげた。

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