2017年9月16日土曜日

長年にわたって人生に「つながる」不思議に感動

「愛の花びらは、いつまでも枯れない」。自著、コルベ神父の「身代わりの愛」のサインは、いつも、この言葉を使っている。尚子(ひさこ)さんは、この言葉を書いた色紙を私からもらった。その言葉が好きで、結婚して、女の子が生まれたら、この言葉から名前を付けよう、そう思っていた。願った通りに実現した出来事を、お便りから、2日前の日記に書いた。すると、尚子さんからのコメントが入っていて、「ありがとう。嬉しかったです。いつまでもお元気で」と記されていた。
★突然、ホームに届いた1通の尚子さんの便りは、私に大きな感動を与えた。こんな出来事が、長年にわたって、人生に「つながっている」ことの不思議さ、このような一連のドラマは、めったにない出来事と強く感じている。
★そもそも実話は、この赤ちゃんの写真から始まる。35年前、尚子(ひさこ)さん、7月12日に誕生。10月10日、コルベ神父の列聖式の日に、洗礼を受けた。霊名は「マリア・コルベ」。当時、騎士誌では、コルベ神父の列聖を記念して、コルベの洗礼名を頂いた赤ちゃんの写真を募っていた。騎士誌宛に送られてきたのが、この写真だった。写真には「ママから、ひと言」が付いていた。「結婚6年目に、やっと子供を授けて頂きました。主人がコルベ神父さまを尊敬しており、子供が生まれたら絶対に名前を頂くのだと張り切っていました。女ながらに、コルベ神父さまの列聖日(10月10日)に、めでたく『マリア・コルベ』の霊名を頂きました。写真は1歳の誕生日の時です」
★赤ちゃんの写真は「わが家のコルベちゃん」で、騎士誌に紹介された。(1984年1月号)。掲載した後、写真と、手紙は、ある部分を切り抜いて、聖コルベ館の「アルバム」に保存した。これが良かったんですね。そして誕生から、14年が経過する。
★尚子さんは中学生になっていた。下関市内の3つの教会の中学生たちが10数人、聖コルベ館を訪れた。その中に、初めて長崎へ来た尚子さんが居た。私は大層喜び、尚子さんにアルバムを見せた。「自分の洗礼名の聖人の記念館って、どんな所だろうかと思って来ました。赤ちゃんの写真が残されているのを見て、びっくりしました」。それが記念に撮った、この時の写真です。
★それから、また、何十年経ったであろうか。今の度、ホームに突然に手紙が来て、愛するご主人が居り、愛する5人の子どもたちに恵まれ、女の子には、「愛の花びらは、枯れることはない」の名前を実現しました、と書かれていた。「愛花」「結花」「聖花」です。それには、全くびっくりした次第です。男の子には、父の名前を頂いた。父の名前は、赤ちゃんの写真に添えて、父の文章があり、最後に、「照雄」と書いてあった。男の子は名前を分けて、「照悟」「雄悟」と付けた。
★その後、あの中学生は、どうなったであろうか。電話で尚子さんに聞いた。高校は看護学科を卒業し、長崎の女子大学で保育科を専攻した。「父が病気になって、度々聖母の騎士のルルド参りをしました」。長崎に縁があったわけだ。保育所で働いているとき、会社員のご主人、アシジのフランシスコ俊雄さんと結婚した。
★電話で尚子さんが言う。「6年間も生まれなかったのに、私は6年間に5人を生みました」。上が小6の男の子で、「コルベ」を名付けた。下は、年中組みの女の子だそうです。
★子どもの成長と共に、これからが大変な苦労があろう。苦労があれば、喜びも大きい。母の手で、大家族を温かく包んでください。必ず聖コルベが、マリアの愛で守ってくださる。聖コルベは家族の保護者です。家族が居る父親のために、餓死刑を引き受け、愛の殉教者となった。必ず、あなたの家族をも導いてくださる、と伝えた。
★私にとっては、昨日も、今日も、この家族の実話で、心は嬉しくて、楽しくて、こんな事は2度と起こらないだろう、と心に強い弾みを感じている。

1 件のコメント:

  1. 小崎さんにお電話をいただき、わたしも嬉しかったです。5人の子供に恵まれましたが、本当の大変さはまだまだこれからだと思います。思春期に、反抗期。。。でも「苦労があれば喜びも多い」大変なこともあるだろうけど、楽しさも喜びも5倍!そう思って明るく元気にやっていこうと思っています。私たち家族のためにお祈りしてくださりありがとうございます!わたしも、未熟者ながら小崎さんと社会の平和のためにお祈りしたいと思います。

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