2017年6月25日日曜日

「人生に、ふしぎなこと、あったよ、な。沢山」

「修道士です」。「ブラザー」と呼ぶ人もいるが、あまり好きではない。修道士は目立たない存在です。公会議以前は、修道士は、院内の仕事に従事していました。受付、炊事、農業、管理、大工など、それぞれの分野で働いていた。修道士を目指す人は少ないです。
★先日、修道会・長崎地区の集まりがあったとき、司祭が9人、修道士が9人集ったが、「修道士が9人」も一箇所に集ったのは、日本でも珍しいのではないか、そう思いつづけてきた。だから今日の日記にそれを書きました。修道士も、それぞれに神の声を心に聞いて、この道に入ってきた。振り返れば、これは不思議なお恵みです。
★昨日、午後、ロザリオのお祈りの中、面会人が来たと呼び出された。「トマさんのことば」を編集してくれた若者2人、野々村哲さんと塩沢美樹さんが姿を見せた。自室で、小さな本の反響について告げる。申し込みのハガキを、第1号から、130枚目まで、ゴム輪で留めた分厚い束を手渡した。重みのあるハガキの束だった。それに、お礼のハガキ、手紙が沢山届いている。その束も彼らに見せた。2人は驚き、感動して、それらに目を通していた。「持って行って、いいよ。まとめてみてください」「ハイ、いいですか」。彼らにも喜びを共有して貰う。彼らが編集者なのだから。彼らが居なければ、「トマさんのことば」は発行されなかった。夕食どきまで彼らは居たが、写真を撮るのを忘れた。ザンネンです。
★彼らが帰って、今日、東京から1枚の手紙が届いた。母のものを整理していた時に、「聖母の騎士」を見つけ、ネットで調べて、「登明日記」に辿りついた。2年ぐらいになるでしょうか。毎日、読ませていただいている。「寂しいよ、悲しいよ、不安だよ、痛いよ」。率直に語られる日記は、驚きでもありましたが、修道士さんでも、そうなら、「私が今、こうであっても、いいのだと」思うことが出来ました、と書いてあった。
★修道士でも悩みもあれば、迷いもある。それを乗り越えて行く。デコボコのある人生だが、「すごく、ふしぎなこと、なかったか。あったよ、な。沢山」。これは確実に言える現実です。時々思い起こしては、「そうだ」「そうだよ」と納得しております。「トマさんのことば」でも、好きな言葉です。「恵み、なければ、いまは、なし」

2017年6月24日土曜日

高原修道士さん修道名のお祝い日。ささやか食事会

洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日です。キリストに先駆けて、ちょうど半年前に生まれました。半年後にクリスマスがやってくる。聖ヨハネは民衆に洗礼を授けていた。キリストも宣教活動の初めに、洗礼を受けている。
★ホームの隣の湯江修道院の高原修道士さんの修道士名のお祝い日でもある。高原さんにはお世話になっています。入江さんの提案で、昼食どきに、近くの食事処で、お祝いをしました。写真は、左から高原修道士さん、入江さん、瀧神父さん、そして手前に(写っていない)トマが居る。この店は、有明海に接した処にあり、生けすがあって新鮮な魚が食べられる。
★ウナギ定食と、アジの生け造り、あさり汁など食べた。瀧神父さんと入江さんは焼酎のお湯割りを、チビリ、チビリ、たしなんだ。高原さんのお祝いなのに、彼は運転するので、お酒は飲めない。「ごめんな、高原さん」。そう言いつつも、2人はお酒でいい気分になった。
★高原修道士さんは修道会の人事異動で、ホームの仕事を退職した。それでもホームに入居している司祭、修道士のお世話はしています。大曾神父さま、西山神父さま、瀧神父さま、村山修道士さん、トマ修道士です。病院へ連れて行くのは高原さんの運転です。これからも、よろしく、お元気で頑張ってください。

2017年6月23日金曜日

修道会の仲間と過ごす半日は、生きる喜びの活路

イエスの聖心(みこころ)の祭日です。写真は、ホームの隣、湯江教会の玄関にあるご像です。いつも、このご像を見て通ります。
★ミサの始まるときに、司祭は、「イエスのみ心は、私たちの忘恩、冒涜で、悲しんでおられます。罪を避けて、み心を慰めるよう努めて祈りましょう。6月は、イエスのみ心の月にもなっている」と、うながされました。
★昨日は、2ヵ月毎の修道会の集まりがあった。「コンベンツス」と呼んでいる。長崎地区の4箇所の修道者が、順番の場所に集って親睦と信仰を固めまています。長崎には20人の会員が居る。司祭10人(1人病欠)、修道士9人、神学生1人、計19人が集った。
★修道者は、修道院に居て、一緒に祈り、語り、食事をして、喜び合うのが一番の幸福です。この集いに、好んで参加している私の心は、水を得たように楽しく、嬉しく、語り合うことが出来る。我々は、少年期、青年期、壮年期を殆ど一緒に過ごしてきた。お互いの人間性は良く知っている。安心感があります。この時ばかりはホームのことは全く忘れれしまう程です。
★先ず、「教会の祈り」、昨日は、イエスのみ心の祭日の晩の祈り、寝る前の祈りを共同で唱えます。最後に、共同で「サルべ・レジナ」を歌う。これが、実に、いいね。
★次いで各事業体の報告がある。湯江、ホームの報告のとき、園長神父さまが、「トマさん、小学校での平和学習、あれ言いなさいよ」と、うながした。「園長さん、言って下さい」と頼んで、彼が見事な説明をしてくれた。
★「トマさん、最近、ネコが住み着くようになってね」と見せられたのが、この、しょぼけた猫の写真です。「名前は?」「ライ」。ライモンドまで行かない名前なんだ、な。時々、叫び声をあげるそうです。
★報告が終わると、会食になります。私の席の前に、前・管区長の崎浜神父さまが座っていた。お酒の酔いも手伝って、しきりに、私に向かって話しかける。トマ修道士の足跡を辿るみたいだ。①資料の収集や、②記事の内容、③病気をしても屈しないカラダのふしぎ、などを取り上げて、評価してくれた。これは嬉しかったよ。自分の修道士の歩みも、意味があったと言える。残せるものがあった。誉められれば誰でも嬉しいよ。
★集会の写真を撮ろうとデジカメを出したら、「電池、切れ」で写せなかった。この雰囲気で、修道士は皆んなと一緒に暮らすのが一番の幸いです。それを望めないボクは悲しい。でも昨夜はゆっくり十分に休み眠った。

2017年6月22日木曜日

「トマさんのことば」に添えたカードの説明です

「トマさんのことば」。小さな本と共に、お手紙と、左側のカード(大分県の疋田恵理子さんが制作)、それに右側の小さなカード(編集者の野々村哲さん、塩沢美樹さんの共同で制作)の1枚をお送りしました。
★本を受け取った皆さんは、小さなカードはどれを受け取ったでしょうか。自分に似合った言葉のカードが当たったでしょうか。カードは、こんなに沢山の種類がありました。それを紹介しておきます。
★この中で、「アッ、シマッタ。パチン」という字を書いた絵があります。このカードに当たった男性からは、お礼の手紙の中に、こんな言葉がありました。「しおりの絵もとても愉快ですね。急須が割れて、「万事休す」ということでしょうか。それとも「窮すれば通ず」でしょうか。愉快に思いました」
★皆さんは、どれに当たったでしょうか。言葉が、しっくり来ない人は、「ごめんなさい」。編集者の若者の2人が、共同制作したカードでした。彼らは、ここまで面倒を見てくれました。2人のチカラがあったればこそ、出来た作品です。あなたの傍に置いて、時々は眺めてください。これもご縁でしょう。

2017年6月21日水曜日

神は隠れた処に居られ、隠れたことを見ておられる

アジサイの花です。食堂のガラス戸に接した三角の小さな庭に、ひっそりと咲いていた。人が余り気にしない処に咲く花が、いいね。
★早朝、教会で、祈りが始まる前に、心を落ち着かせ、しばらく考える。今、悩みがあるか。
★昨日は、子供たちに語り部の役を果たした。子供たちへの語りは40分、イスはあったが、意識して立ったまま子供たちに向き合った。やはり両足に衝撃が走り、腫れて苦しんだ。老いると、疲労がイッペンに身体にのしかかる。
★語り部は午前中だったが、その日の夜は、ホームで亡くなった男性の一周忌を偲ぶため、修道院で夕食の集いがあった。自室に戻って、寝たのが9時頃になる。「ホントウに疲れましたよ」。普通は8時には、もう寝ている。9時に寝て、一息眠って、目が覚めたのが、深夜の1時半だった。それから、なぜか、眠れない。理由も無く眠気がしない。時間だけが過ぎて朝を迎えて、起床を告げられた。
★今朝のミサの福音は、マタイの6章で、「隠れたところに居られる父は、隠れたことを見ておられる」言葉に釘付けとなった。神は、隠れた処に居られて、隠れたことを見ておられる。「何をしても、ちゃんと、お天とう様は見ているよ」と一緒だ。神さまが見て下さっておれば、安心だ、の思いもある。
★今日は、長崎のヨゼフ・クリニックへ定期の診察へ出かける日です。ホームの朝食の時間が遅いので、食事は修道院でお世話になって、8時には高原修道士さんの運転で、長崎へ向かって出発した。・ヨゼフ・クリニックへ定期の診察へ出かけた。睡眠のことを言うと、5時間眠れば十分だ、そうです。人生、山もあれば、谷もある。89年、生きて来たではないか。何んで、そんなことで悩むのか。

2017年6月20日火曜日

小学校287人に原爆語り部を無事に努めあげた

今朝の目覚めは快調でした。平常通りに、夜は8時にベッドに付いて、朝、4時45分に起こされた。先ずは安心しました。瀧神父さまが、ささやいた。「良く眠れるように祈っていたからな」。もう大丈夫です。アタマは冴えている。声も出る。後は、活ベンだな。
★10時に、高原修道士さんの運転で、大きな絵を数枚積んで、事務長の岩田さんも同乗して出発した。小学校までは、坂を下れば、体育館です。準備をして待った。小学生が次々に体育館に入ってくる。懐かしい子供の雰囲気だ。287人が居ると教えられた。小1から小6まで、縦に並んだ。
★平和学習の女性先生が、私の紹介をする。児童の2人が「よろしく」と挨拶する。ピン・マイクを望んだ。「皆さん、こんにちわ」。全員の物凄い声が返ってきた。(ああ、この反応ならば大丈夫だ)
★「私は、小学校1年生のとき、お父さんが病気で死にました。父ちゃん、病気で、死んじゃったよ。兄弟は居ない、一人っ子。だから(と、母の絵を見せた)優しい母ちゃんだよ」。小1の子たちが、目を輝かせて、聞いている。話は調子よく行った。思ったね。ボクの話は、一人舞台の劇だよ。汽車が助けに来た。「シュ、シュ、ポッ、ポ」。両手で大きな車輪を回す。今の子ども達は、汽車を知っているかな。
★「助けない、困難が来れば逃げる、許さない、それは誰にでもある。しかし助ける心、困難が来ても逃げない心、難しいけれど許す心、その心が広がる上に平和の花が咲くのです。人の、いたみが、わかる心、これが平和の元であります」。話は、これで終わった。40分かかっていた。小1は、よく辛抱したよ。
★話の中で、原爆・放射能で死んだ、隣の家の女の子、3人も登場する。右の写真で分かりますか。白ボードに、その3人の絵がある。上の姉ちゃんは小6だったので、供養のために、小学6年生の女子児童と一緒に記念の写真を撮った。高原修道士、校長先生も写っている。
★こうして無事に役目を果たすことが出来て、安心しました。何かの言葉が、児童たちの心のどこかに残っていることを願いながら、学校と児童、先生に「さよなら」した。

2017年6月19日月曜日

「ヒバクシャ」の証言が聞ける最後の世代です

ホームの隣、湯江教会の祭壇の生け花です。ユリの花が見事です。転任して去った神父さまが、教会の庭に植えていたそうです。
★ところで、原爆の語り部の話。地元・湯江小学校の校長先生と、平和学習担当の女性先生がホームに来られて、原爆の語り部を努めたのが、5月23日(火)でした。そのとき、校長先生は、指でマルを作って、「よろしく頼みます」と約束を交わした。もう1ケ月前になる。ところが老人の気持ちや体力は、次第に変わるんですね。老人は少しの動揺にも、異常に反応する。
★話は変わって、寝るベッドのことですが、6月2日に、ベッド・敷きマットの入れ換えを行なった。女性の職員さんが「高価な品だから使ってみてください」と『ヘルスウェーブ』(デコボコの感触で、分厚いマット)を使うようになった。まあ、何とか安眠はして来ました。でも背中が慣れずに痛い、寝心地が良くないです。
★約束の小学校の平和学習は、明日、6月20日に迫りました。これまで何百回となく語ってきた原爆体験です。お手の物のハズです。日々何事も無く、夜は安眠していたのに、4日前になって、その夜は「子供たちのことを考えて」寝られない一夜になった。
★「こりゃ、大変だ。老人になって気力が失せたか」。心配したが、幸い3日前は、良く眠れた。2日前は、夜中12時まで寝た後、あとは眠れない。「マットのせいか、なァ」と悩む。寝ていて背中が落ち着かない。
★そうした日、東京の女性から絵ハガキに書いた短い手紙が届いた。「梅雨入りしましたが御元気ですか?さて、6月20日に小学生に講話をなさるそうですね。この子たちは『ヒバクシャ』の証言が聞ける最後の世代です。幾多の試練を経て、トマさんが彼らに伝える。これもマリア様の取り次ぎでしょう。いのちの炎を燃やして語ってこられますように。『トマ死ぬひまない』(2014年9月の日記より)」
★最初、長崎・原爆資料館で、語り部デビユーしたのは、母の被爆50回忌だった。初めての話は、620人の小学校で、母の写真を胸に納めて語った。今度も母の写真を胸に語ろう。母が守って下さるだろう。「母ちゃん、行って、くるケンね」

2017年6月18日日曜日

「父の日」。天の御父にも感謝。父の思い出は無し

「父の日」です。日曜日でもある。ミサのとき、お説教で、「天の御父のことも考えて、賛美と感謝を捧げましょう」とあった。
★左は、昨日、行なわれた父の日の集いで、男性各人に贈られたカードです。横は9cmある。手作りです。本人の写真もあるし、赤白の蝶ネクタイも付いてある。左下に、花の模様。職員さんが、こんなのを、22人も居るのだから、手分けして作るのも大変だし、先ず心が篭もらなければ、今時、誰もしないでしょう。嬉しい限りです。
★カードを広げると、横が17cm、下のような「字」が現われる。「いつも感謝です。心から、ありがとう」。どちらが、この言葉を言うはずですか。ボクたちだよ。お世話になって、グチをこぼして、痛みを訴えて、本当に、こちらの方が、「ありがとう」です。ヒマワリの花も貰いました。
★私の父の思い出は、殆ど無い。7歳のとき、胆石病で、北朝鮮に出稼ぎに行っていた町で、内地ならば手術は出来たろうに、現地では手術も出来ず、46歳でなくなった。父に、早死にされたのは、本当に悲しいよ。母親が、どんなに苦労したことか。母は、そのとき35歳だった。
★人は、父親から人生の中で、大きな影響を受けて育っていく。それを欠いていたのは損だったと思う。修道士だから、父親には、なれなかった。これも我が人生だ、と思う。
★ホームの男性たちは、戦前、戦後、みな、たくましく生きてきた。ご苦労が多かったのか、ハゲた人が目につく。関係ないか、な。
★他人と違うけど、1人1人召された人生だった。比べなくても、いい。私は私で十分の道を歩いた。私しか歩めない、この道は・・・。十分満足してよい。苦しみ、あっても、この道なのよ。道にユーモア、ゆとりを残す。これがホンモノ。デキタ人間、といいます。
★ホームの昼食のメニューは、山菜の混ぜ寿司、お刺身(イッサキ)、エビの天ぷら、すまし汁、ジョア、だった。

2017年6月17日土曜日

「父の日」の集い。見物は、女性職員の寸劇です

明日は「父の日」。前倒しで、今日、お祝いの集いがあった。ホームに、22人の利用者が居るそうです。午後から、お茶の時間に、食堂に全員が集まりました。出し物は、女子職員さんの寸劇です。
★写真の前列が、パパとママで、後ろ、3人の娘が居る。1人は解説者。「結婚して50年になるが、新婚当時と違って、ガタがきた。娘3人居るが、まだ嫁に行かない。誰か、ホームにヨカ・ヒトは、おらんじゃろうか」。3人の娘が、男性3人の処へ、寄り添いに行った。園長神父の処にも行った。「それは、ダメよ」。大笑いだよ。
★男性の食卓へ、女性職員さんが、「父の日」のお花を持って、喜びながらお渡しする。貰って嬉しいよ。写真は、左から、キリエさん、入江さん、そしてボク。
★多忙な中でも、職員の皆さんは、仮装して、異なことを言って、笑わせ、心を温かくしてくれる。人と、人との「つながり」「信頼」があるから、いいんだね。普段は見えないユーモアや、面白さが表面に出てくる。
★司会の男性職員が、ボクに、寸劇で誰が良かったか、感謝状も準備しているから、渡して欲しいと頼まれた。顔を真っ赤にして、2人に感謝状を贈ったよ。男性職員は、女性職員の活躍にも敬意を表しているんだね。

2017年6月16日金曜日

「トマさんのことば」。発送の結果。皆さんに感謝

「トマさんのことば」が印刷・製本されて、4月16日の復活祭から配布を行ないました。今日は6月16日で、ちょうど2ヶ月が過ぎました。結果を発表します。
★500冊、印刷・製本しました。目的は、ブログ「日記」を読んで下さる皆さんへ配布するのが願いでした。それは編集・製作に当たってくれた2人の若者、野々村哲さん、塩沢美樹さんが、「日記」を読んで、この中から主に製作したからです。
★日記を読んで下さる人は、毎日150人前後の数になります。その数字を念頭に入れて宣伝に努めました。しかしハガキを受け取ったのは、126枚です。ハガキの人が、「この人にも送って欲しい」と願ったのが、別に、47人でした。
★郵送した数は、231冊になります。手渡した数は、178冊です。合わせて、409冊が出て行きました。哲さん、美樹さん始め、ご協力の皆さん、ありがとう。お礼のハガキ、手紙も沢山頂きました。殆ど感謝と喜びの内容でした。
★ハガキが届く度に、思いがけない町で、場所で、愛読してくださる皆さんが居られるのを知って、励まされました。「苦しくても、老いても、人は、自分の人生を、最後まで、生きなければ、ならない」。それは日記を継続して書くことでもあります。
★書くことによって、脳が活性化される。頭の中が整理される。身体的にも役に立つと思ってパソコンに向かいます。「きょうの日も、幸せでありますように」。大それた指針や、ひらめきは、ありませんが、「トマさん」がどうなるのか、見守ってください。ご縁をつづけて下さい。それがお願いです。

2017年6月15日木曜日

社会福祉の理念に、ゼノ修道士を語る若者に共感

福岡の私立の大学院生が、訪ねて来た。社会福祉士、精神保健福祉士でもある。若者を侮る勿れ、彼は過去の出来事から、老人の記憶を掘り起こして、教訓を教えてくれる。
★半年ほど前、教授から、セルギウス修道士の「越えて来た道」を紹介された。読んで、感動した。今の福祉の原論は、お世話もあるが、お金も貰う。お金を伴わない福祉が、この本にあった。ポーランドから来て、コルベ神父や、ゼノ修道士など、原爆後に、終戦と共に荒廃した日本人の福祉のため、原爆孤児の救済に働いた。お金も必要だが、奉仕して尽くす。お金のために、やっていない。彼らの中にこそ今、社会福祉の理念があるのではないか。「詳しく、ゼノ修道士のことを知りたい」
★若者から、ゼノさんの名前を聞かされれば、これぞ福祉の原点と、ゼノ修道士を知っている自分は黙っていられない。胸は喜びに奮(ふる)え、若者に協力したい気持ちになった。
★彼は、「十七歳の夏」も読んできた。この本から、5つのことを学んだ、と言う。①省略しない心。②文句のない心。③人との出会い。④孤独と愛。⑤生きて行くことに価値がある。「小崎さんが、原爆の後、ポーランド人修道士のふところに飛び込んだ。抱きしめられた。これが人との出会いですよ」
★コルベ神父とゼノ修道士の長崎上陸の第一歩は、養護施設や、養老施設と、それ以上の大きな福祉事業の広がりにつながった。上陸から87年を経過して、その原点を論ずる若者の存在は、老い行く老人の記憶にヒカリを与えたようで、喜びの日となった。自室に来たのは、10時頃だったが、昼食を知らせるアナウンスがなった。「トマさんのことば」を、2冊渡した。「教授の先生にも差し上げてください」。再会を約して別れた。

2017年6月14日水曜日

台湾人の女性・許さんから絵が贈られる。的確の現実

10日ほど前、大阪から台湾人の女性、許さんが面会に来た。彼女は、私の自室の中で、目で始終、ぐるぐると観察しながら、最後に、こう言った。「トマさんの背景に、修道服が掛かっている。紐が白く光る。話しを聞きながら、修道服があって、トマさんが居て、フランシスコが座っている。修道士が、私が経験出来なかった本当の歴史を語ってくださった。いつか私の人生に影響があるでしょう」。そう言いながら彼女は、出会いを喜び、感動して、別れを惜しんで去った。
★許さんから、小包が届いた。1枚の額が出てきて、キレイな絵が描かれていた。まさに、あの時、彼女が言った、その通りの情景が、そこに見事に記録されていた。絵の大きさは、縦27cm。横18cm。言葉も添えてある。「聖霊降臨の主日。トマさんとの対話。重なる時間、凝縮された歴史の中で、しっかり生きる。マリアさまの子。フランシスコの兄弟として」
★修道士は修道院で仲間と生活して、祈り、笑い、語り合い、喜びあって幸せがある。同じ方向をむいている兄弟だから。ところがホームに入って、一般の女性、男性と共同生活をして、彼らには子も居れば、孫もいる。その中に入り込んだとき、最初は「孤独」を感じて、「自分は修道士なのだろうか。自分はこの道で良かったのだろうか」など、悪魔の誘惑とも思える迷いを感じ、苦しんだ。
★哲さん、美樹さんの2人が編集してくれた「トマさんのことば」は、迷いを打ち消し、元に引き戻す確信となった。「これが私の道だった。悔いは、ない。神さまの元に走ろう」
★更に許さんが描いてくれた、この絵こそが、決定的に私を又、修道士の本筋に引き戻してくれた。私の自室は、目には見えないが、この絵のようになっているのだ。そう確信を与えてくれる絵となった。人は老いても迷い、また目覚める。生きるチカラが湧いてくる。「許さん、ありがとう。自室に飾って、祈りの中に自覚します。我が道は、この絵の中にある」

2017年6月13日火曜日

パドアの聖アントニオの祝日。思い出。理髪も整う

イタリアの中世期の聖人、パドアの聖アントニオの祝日でした。教会の祈りと、ミサでお祝いをしました。
★戦争が終わって間もなくの頃、小神学生(高校生)だったとき、舎監のロムアルド修道士が、聖アントニオの映画を見せた。山の修道院でお祝いがあって、お説教をする司祭が遅れて来ない。院長が、アントニオに代わりに説教をするように命じた。その説教を聞いた皆が感動の渦に捕らわれた。一躍、有名になり、説教師になったアントニオは各地をまわって説教をした。
★親不孝の息子が居て、親を足で蹴り飛ばした。アントニオの説教を聞いて改心して、ああ、オレはダメだと、斧で自分の足を切りつけた。アントニオは奇跡をもって足を癒してやった。映画の一部分を、こんなにも覚えている。
★聖絵の右側、聖アントニオの絵には、幼子イエスと、百合の花が描かれる。左側は、イタリア・パドアの大聖堂で、聖アントニオの「舌」を祭っている。
★「物を失った場合は、聖アントニオに祈ると、見つかる」という庶民の信仰もある。
★小神学生の頃の思い出だが、聖アントニオの祝日は学校は休みで、この日はロムアルド修道士と共に「茂木(もぎ)」へ徒歩で出かけた。戦後の食料不足の時代で、米の飯は3度は食べられない頃だった。代わりに芋で我慢した。そんな時、「茂木」に出かけた我々は、ロムアルド修道士の配慮で、「食べきるだけ、茂木ビワを食べてよい」と、嬉しい許可が出た。その頃のビワは竹のカゴに入っていた。戦争中も、ビワは生き残っていたんですね。「食べるわ、食うわ」。小神学生たちは満腹するまで食べた。こういう許可を与える人間も、ある時代、ある場所では必要だし、喜ばれると今、思う。
★昨日は、ホームに、理髪屋さんの夫妻と、父親と、3人で来て、理髪をしてくれた。理髪屋さんの幼友達が小学校の校長先生になって来たそうで、理髪屋さんの取り成しで、来週の火曜日に、小学生たちに話をする運びになった。理髪屋さんにお礼を言った。散髪をしてもらって、髪も万全に整った。あとは「気力」を燃やすことだと楽しみにしている。

2017年6月12日月曜日

4人の男性。「兄弟です」。ブログを読んでいます

園内放送で、名前を呼ばれ、「玄関へ」来るよう言われた。玄関へ行ってみると、この男性群です。右側は、ホームの瀧神父さまだが、あとの4人は何だか、同じ雰囲気。司祭も1人いる。「兄弟」だ、そうだ。「え?誰れなの?」
★この中の1人が、「トマさんのブログ、読んでいる。ホームのことは、わかります」と言ってくれた。ありがたいことです。2人は「聖母の騎士学園」で学んだと懐かしがる。「湯江修道院の、平戸・同郷の神父さまに会いたい」。あいにく隣の修道院の神父さまは不在だった。残念がっていた。私は、言い交わした言葉は少なかったが、何か親しみは感じた。「兄弟4人が揃って来るなんて、珍しい」。兄弟で、何かの集まりが有ったらしい。彼らの時間の都合で早々にお別れした。写真を撮ったが、掲載は遠慮していた。
★数日が経って、ブログを読んでいる彼らの1人から、ハガキが届いた。「トマさんのことば」を送って欲しい。4人の兄弟の住所が書いてあった。茨城、東京、横浜、鎌倉と様々な場所に住んでおられる。120番目のハガキとなった。
★「ブログの日記、楽しみです。時々出てくる長崎弁や、長崎・修道院の記事、(もう昔に)7年間、お世話になった聖母の騎士の事が蘇ってきます。マリア様の取り次ぎで、少しで、長く、ブログが続きますように、お祈り致しております」
★早速、4人に、「トマさんのことば」をお送りした。ハガキが届いたので、写真を載せて、記事に取り上げました。4人の皆さんも、いつまでもお元気で居てください。

2017年6月11日日曜日

中学卒業後、28年ぶりに、真弓さんが訪ねてきた

どう、説明したら、いいのだろう。数日まえに、電話があった。「学校のとき、お世話になった、真弓です。いま愛知に住んでいる。諫早に行くので、ホームに『校長先生』を訪ねますからね」「ああ、待っているよ」
★その日が今日だった。山に、私立の小学校・中学校の併設校があった。児童・生徒は合わせて、100人ぐらい。私は、その学校に6年間、校長で勤めていた。その頃、卒業した真弓さん(写真・右)が訪ねて来た。当時、小学校の教師だった池田先生(写真・左)の車で現われた。懐かしい、覚えているよ。でも、顔は変わっているね。ホームの自室でしばらく話しをしたが、池田先生の車で、諫早の「魚荘」へ食事に行った。そのときの写真です。
★私は、真弓さんと、小学校から、中学まで、一緒に学んだ。卒業証書を渡して、送り出した。看護学校に進学した。数えてみると、28年が流れている。
★「どうして訪ねようと思ったの?」「校長先生のことは忘れませんよ」「どんな話しが印象に残っている?」「道徳の話し」「へーェ、そんなこと」「時々、ブログを読んでいます。ビンセント先生(神父)がバイクに乗った写真も見ました」。ビンセント神父からは英語を習った。アメリカ人から英語を学ぶのは珍しい時代だった。とにかく私にとって、6年間の学校生活は楽しい思い出がイッパイだった。小学校の作文で「朝日新聞賞」を取って、上京したこともある。
★特に、あの頃は、朝レンで、女子はバレーボールの練習に打ち込んだ。右の写真の中に、真弓さんも居る。この写真を見手て、真弓さんは喜んだ。少女時代の懐かしい思い出だ。公立の中学校のバレーボールの試合でも臆することなく頑張った。勝つこともあった。
★小学校では池田先生が担任を勤めた。真弓さんは、いまは大学生の娘と、高校生の息子と一緒に生活しているという。看護師の仕事を続けている。
★こうして卒業生が訪ねてくれることは本当に嬉しい慰めです。28年前の真弓に会って、心の臓にチカラが湧いてくるのを覚えた。人間は成長する。今も大事だが、あの頃、あの時代の学びや、鍛錬、正直に生きる思い、先生たちの愛情、消えた思い出に過ぎないかも知れないが、その人の人生にとっては「1つ」しかない大切な宝です。だから、こうして訪ねて来る気持ちにもなるのでしょう。真弓さん、ありがとう。池田先生、ありがとう。

2017年6月10日土曜日

若者も老人も、心は1つになって、喜んだ、笑った

毎年、6月の行事。「室内・運動会」が行なわれた。「爆発(バクハツ)」した、というかね。笑いと、応援の声と、拍手と、盛り上がりで楽しい、ひと時を過ごした。ホーム全員が、赤組ハチ巻と、黄色のハチ巻組にわかれて、競技の初めはナンといっても、「パン食い競争」だよね。ザンネン、写真が撮れていなかった。
★先ずは、アヴェ・マリアのお祈りから始まった。園長神父さまの挨拶もあった。次いで国旗掲揚となる。職員の司会者から、声がかかったので、勤めました。やっぱり、声がかかるのは嬉しいよ。ちゅうちょすることなく、率先して行動するのは、楽しいよ。昭和生まれは、「日の丸」は、いいね。子供の頃には思い出も沢山あるしね。戦争には負けたけれど、リッパな日本になったよ。
★ここに居る老人たちは、大正の生まれ、昭和初期の生まれ、皆さん、苦労して生きてきた。偉いよ。強いよ。今は、若い人のお世話になって、安らかに暮らせるのは嬉しい。願いは、いつまでも平和なニッポンが続いて欲しい。もう戦争はイヤだよ。苦労したからね。ただ年金がじょじょに少なくなるのは老人にとって、フトコロが寂しいでしょう。それでも老人は強いよ。
★とにかく今日は、笑いと拍手と応援の「バクハツ」した半日であった。気持ちが、なにより、「スカーッ」と、した。最後には、ポカリとビスケットの賞品も全員に渡された。

2017年6月9日金曜日

「こびとの歌」に感動。さげすまれても、許す心

数日まえ、台湾人の許さんが自室を訪ねて来た。許さんは、伊王島を訪ねたと言った。教会にも行った。そして、私に、コピーされた1枚の紙を見せて、「これは何のことですか?」と聞いた。そのコピーには、「こびとの歌ー長崎県・伊王島」と題があり、詩が書かれていた。許さんが聞いた字は「阿呆まる」。その詩の1節の言葉だった。「阿呆まる?舟の名前じゃないの」
★「私には分かりません」。そう言いつつ、「こびとの歌」の詩を読んでみると、強く心を打たれた。このときは誰が書いた本からか、コピーしたのか、わからない。内容は、次のようなことだった。
★「ある日こびとに母はいう」から始まる。お前は、こまい(小さい)から農業するのはムリだろう。町に行けば職もある。町の建築技師も、店の主人も、「こますぎる」と断る。そこで、こびとは「阿呆まる」に乗って、航海に出るが、大嵐に出会って、海の藻屑となる。天の門でもペトロから、天にいるには「ちと、こますぎる」
★そこへ「ゼウスは、こびとを、いだきあげ、ほほえみながら、のたもうよ。天にいるには、このように、心の愛らしき、幼子ばかりぞ、幼子ぞ、ほんに」で終わっている。
★「あれ、これは、どこかで見たことがある詩だ」と、瞬間に頭をよぎった。許さんが帰ってから、タンスの引き出しから探してみると、やはり既に「こびとの歌」を送ってくれた人がいる。「トマさんのことば」を編集した塩沢美樹さんで、上五島から、昨年、送ってくれていた。封筒に、歌の説明のコピー数枚と、歌のCDがあった。
★本は、松田美緒さんの「クレオール・ニッポン・うたの記憶を旅する」(2014発行アルテスパブリシング)で、「こびとの歌」は、外海・黒崎の易さんが、古御堂(ふる・みどう)教わったと記してある。子供たちによって音楽劇として演じられている。私は黒崎出身で、その古御堂をよく知っているから懐かしかった。
★電話で、塩沢美樹さんと話した。美樹さんは、松田美緒さんの歌を聞きに行った。私もCDから「こびとの歌」を聞いて、深い感動を覚えた。「こうして、昔のキリスト信者は、素朴で、単純な詩を口ずさみながら、教えの核心を伝えて行ったのだな。まさに、これこそキリストの教えではないか」。古御堂を懐かしく思った。
★「こびと」が「ゼウス(神さま)から受け入れられたのは、こびとが、どんなに阿呆と言われても、さげずまれても、皆んなを「許す心」があったからだと、私は思っている。

2017年6月8日木曜日

忍耐、辛抱、気力、信仰、これが私の今の目標です

去年の6月に写したスナップです。女性の職員さんたちに囲まれて、いい気分でした。人と、人との、つながりが一番の幸せです。心が通じ合うのが、生活を楽しくさせます。
★私の右側、着物と黄色い帯の職員さんが、5月をもって退職しました。20年以上の勤務でした。年期が入っているのと、カトリックでもあったので、お世話になりました。
★入院のときは、何を持って行ったらよいか、リストに合わせて、準備してくれた。1回目の誕生日には、色紙に「心」を墨字で書いてくれた。2回目は、墨字がなかった。それで3回目は、私の方から注文をして「忍」を書いてもらった。3枚とも壁に飾っています。
★忍耐、辛抱、気力、これが今の私の目標です。
★お別れに、私は何も差し上げなかった。彼女は、長崎で、有名な「栗饅頭」を箱入りで渡してくれて、お別れしました。

2017年6月7日水曜日

「トマさんのことば」小さな本を求めるハガキ物語

「トマさんのことば」は、小さな本ですが、(ブログ)日記を読んで下さる皆さんに、お届けするのが、私の念願です。なぜ、こだわるのか。それは、この本は、日記を愛読する2人の若者、野々宮哲さんと塩沢美樹さんが、2011年から、15年までを調べ上げて、日記の言葉、写真から作ったからです。日記を読む人に、読んでほしいのです。
★ホームで書いている日記を、毎日、150人前後の皆さんが読んでくださっている。日記の右下のカウントを見れば、前日の人数が分かります。時折、200人に広がることもある。
★ぜひとも「トマさんのことば」は、日記を読まれる「皆さん全員」にお届けしたいのです。ハガキに「郵便番号、住所、お名前」を書いて、「859-0131 長崎県諫早市高来町神津倉41-1 聖フランシスコ園 小崎登明」宛てに出してくだされば、本代、郵送料、すべて無料でお送りしています。
★4月16日、復活祭が、「トマさんのことば」の出版の日でした。早速、その日の日記に載せました。
★2日後、ハガキ第1番が届いた。それは、熊本のミチ子さんからでした。2番は、東京の香さんでした。こうして4月30日までに、65枚のハガキが届きました。65番は、ポーランドのコンラードさんからです。
★5月に入ると、ハガキの数が落ちて、5月31日、北海道から、93番目になるハガキが届きました。
★6月1日、富山から94番目のハガキが届きました。6月3日、99番目、横浜から届きました。こうなってくるとハガキに興味が湧いてくる。「さあ、100番目のハガキがどこから来るだろう?」。思いますよね。
★「来たーッ」、100枚目は、北海道の千里さんでした。
★そして6月6日現在、109枚のハガキが届いております。当然、満足しておりません。
★「トマさんのことば」をお送りした人から、お礼の手紙やハガキを頂きました。誰もが、「小さくて、持ちやすくて」「読みやすい、短文で」「感慨深い、言葉と写真で」と、好評を頂き、皆さんに喜んでもらっているようです。本当に嬉しく思っています。
★まだ50人位の皆さんに、送り届けたいと願っています。面倒だ、と言わないで、いま、すぐ、1枚、ハガキを書いてくだされば幸いです。ハガキを心からお待ちしています。
★ホームに生きる私の「今年の」心の希望であり、喜びであり、生き甲斐でもあります。
★「表紙の写真が、いいね」と電話で言われた。原爆死した母親からもらったロザリオです。付けているのは無原罪の聖母のメダイです。70年前にしては、珍しいメダイです。母を失い、家を失った私が聖母の騎士の学校に入ったとき、舎監のポーランド人ロムアルド修道士さんが、特別に私を可愛がってくれた。目をかけてくれた。そのロムアルド修道士さんから貰った大切な思い出のメダイです。
★この聖母のメダイが表紙に載った「トマさんのことば」を皆さんに配りたい、それが89歳の修道士の願いです。親友、親戚、知人にも贈りたい人が居れば、ハガキをください。

2017年6月6日火曜日

ちょっと変わった上着を着ると、派手だね、言われる

午前中、月に1度の「書道」があった。5、6人が参加した。書を書くのは楽しみでもある。
★左の写真で見てもらいたいのは、書道の「筆字」ではなくて、着ている上着のシャツなのです。
★園の職員から、「シャレた、上着ね」と、ズバリ言われた。気にしますよ。修道士だからね。でも、今時の時期に着るシャツがない。黒い地に、白く細かな花模様が入っている。これに反対の、白地に、黒の細かな花模様の入った上着も持っている。これは、ちょっと、派手で、着るのには気が引ける。
★午後から、車で15分、歯医者さんへ行った。女性の技工師さんから、「いいシャツ着ていますね」と、ここでも言われた。この上着を着てだよ。たまらんな。
★修道服が一番無難だが、ホームで生活すると、上着に苦労する。女性が多いから、彼女たちは日々、衣装が変わる。そして、また沢山の衣装を持っている。男性は、大抵、同じような服を着ている。上着を変えるのに、悩みが起こるよ。

2017年6月5日月曜日

昨日から今日にかけて、心に残ること。平和とは何?

今朝、ミサへ行こうと、廊下へ出た窓の風景です。実にキレイ。感動ものです。燃えているようです。
★実は、昨日は日曜日で、朝、主日のミサのとき司祭は言いました。「教会に、大きな主日が3つある。主の降誕祭と、主の復活祭と、きょうの聖霊降臨の日です。教会が誕生した日です」。燃える空を連想しました。
★昨日は、もう1人の訪問者があった。「傾聴ボランチア」女性の訪問です。島原半島の町から、バスを乗り継いで、時間をかけて訪ねてくれる。多分、もう3度目でしょう。何でもいいから、私の話を傾聴する。そして、ある部分を反復して聞かせる。「どうして、こんな仕事に就いたのですか」「看護師をしていて、患者さんの苦しみ、痛みを共有しようと思ったのが、きっかけです」。1時間ほど語ったが、内容は整理しなければ、ここには書けない。
★そのように話しているうちに、台湾人の許さんから、電話があって、午後から訪ねたいということだった。
★許さんとの出会いは、前に聖コルベ館でも出会ったが、今度は「トマさんのことば」がきっかけだった。台湾からの巡礼団を4泊5日の日程で、遠藤周作の「沈黙」の舞台を案内して廻ったという。「沈黙」のロケは台湾で行なわれ、台湾でも上映されたので、皆さん、興味がある。許さんが案内して、巡礼団を送り出してから、私を訪ねてくれたのだった。
★許さんは言った。「平和とは、『母ちゃん、行ってくるケンな』(6ページ)。そう言って、また母の元に帰れるのが、平和ですよ、ね」。そのとき許さんは、一瞬、詰まったように、胸をゆがめた。この言葉が強く心に響くという。
★許さんは、きょうは、日本26聖人が上陸した時津(とぎつ)の浜を訪ねると言っていた。許さんの話で、彼女が私の部屋の屋外に接した戸の傍にある「着物かけ」に下がっている修道服を始終見ていたのに気がついた。「修道服が、いい」と言ってくれたのは、この部屋にこれまで沢山の人が訪れたが、許さん以外に、そういう人は1人も居なかった。その言葉が、私の心に深く残っている。見るべき人は、やっぱり居るんだな。「わたしは、フランシスコの道を行く、兄弟・修道士だ。わすれるな」
★左の絵は、許さんが呉れた聖フランシスコです。かわいい絵じゃありませんか。別れるとき、許さんは願った。「友達に差し上げたい、『トマさんのことば』をください」「ああ、いいよ。5冊あげるから」
★今日は、朝から入浴した。入江さんと2人だった。入江さんは背中を流してくれた。しかし入江さんも背中をこするチカラが、ずい分落ちているのを感じた。
★園医のお医者さんの診察日。「血液検査の腎機能はどうでしょうか?」「数値的には、変わりはありません。心配ないでしょう」。いま3時の時報がなっている。これから教会へ、ロザリオの祈りに出ます。

2017年6月4日日曜日

驚き「トマさんのことば」を送った女性が訪ねて来た

大阪の女性から、4月下旬にハガキが届いた。「トマさんのことば」を是非、頂きたく思います。以前、聖コルベ館で、2度お会いしました。台湾人の許です。いつもトマさんの日記を愛読しております。ハガキの裏の絵は、私の作品です。聖フランシスコの喜びと平和がありますように。早速、お送りした。
★きょう、午前中に、電話がかかった。「いま、長崎に来ています。トマさんに会いたいです。来てもいいですか」「来るのは大変ですよ」「大丈夫です。湯江着の電車があります。午後1時40分に着きます」。玄関で待っていると、女性がやってきた。
★部屋に案内する。「原爆の話、ゼノ修道士の話、コルベ神父さまの話を聞きたいです」。日本へ来て、18年になるという。絵本の専門学校で学んだ。「こじか」(カトリックの子供向け週刊誌)に、「高山右近」「永井隆博士」、いまは「北原怜子」を書いている。大型のスマホで、それらの作品を見せた。カバンから、「トマさんのことば」を取り出した。「いつも読んでいます」。本を送って、訪ねて来た人は彼女が1人だけだった。話しは尽きず、2時間は語った。本を持って、笑顔で写真に写っているが、彼女は乳がんを治療しているという。苦悩を体験した。それでも「苦しみは、神へ至る通り道ですね。幸せですよ」と彼女は言った。
★「いま、あなたに浮かぶ言葉は何ですか?」。彼女は、しばらく黙して考えていた。やっと言葉が出た。「ほほえみ、ですね。ふしぎなチカラを持っている。何もしなくても周りに影響を与える。あるのと、ないのと、影響は大きい」
★「私の話を聞いて、何を感じましたか?」「トマさんの背後の修道服を見ていました。ヒモが白く光る。フランシスコが好きです。修道服があって、ここに修道士さんが居て、私が経験できなかった本当の歴史を語ってくださった。いま、自分の中に納めて、いつ私の人生に与えるか、いまは分からない。本当によい半日でした。来てよかったです」
★主人は日本人です。快い「ほほえみ」を残して、彼女は去った。

2017年6月3日土曜日

6月の誕生会。出し物は、ミコシだよ。女性乗せて

誕生会。楽しみは、職員さんたちの出し物だね。写真を撮るのに、苦労するね。6月は、本当は、3人が居た。お1人が、誕生日の次の日に亡くなった。だから、お2人がお祝いした。
★出し物の準備室を覗いてきた。「あら、イヤだ、写さないでよ」。女性の職員さんは恥ずかしがる。「でも、1枚」と押し切ると、まんざらでもない「ハイ、ポーズ」
★何するんだろう。本人も、よく分からない。アタマに何やら白いものを2枚つけている。「何をするのかな?」
★昼食に全員が集り、「これから始めます」の言葉。次いで、園長神父さまの言葉。オルガン、拍手に合わせて「ハピーバスデイ」を歌いながら、お花と小さな灯と、おみやげを園長神父さまと職員さんで席まで運びます。それから「アヴェ・マリア」の祈り。乾杯となる。さて、あの女性はどうなったか、と席を立って、見に行った。
★なんと、4人の若者・男性職員に担がれているではないか。「え?なんじゃ、こりゃ?」。不安そうな、気持ち良さそうな、女性の職員さん。こんなの初めてだよ。音楽が掛かったのか、覚えていない。「よいしょ、よいしょ」の掛け声で食堂へ入ってきた。皆さん「ワーォ」「ワーォ」。拍手と笑い。男性職員は元気モリモリだよ。
★食堂を一往復すると、出て去った。すると「モッテ、コーィ」「モッテ、コーィ」の掛け声が起こった。また入ってきた。左側、少しだけ写っている、ウチワを持って職員が、はやしたてた。それは楽しい誕生会でした。きょうは、のど自慢の歌は中止し、来月に持ち越した。
★昼食の後、誕生会を迎えるはずだった女性の葬儀・告別式が教会で行なわれた。園長神父さまはお説教で言った。「彼女がホームに入って11年になる。私もホームに勤めて11年になる。だから彼女の思い出は沢山ある。きょう、私たちは誕生会だったが、彼女は天国でご主人と一緒にお祝いしているでしょう」

2017年6月2日金曜日

平穏なホームでも、色々と身近かで何かが起こる

昼食です。ご飯、きびなごの天ぷら、菊水麩(ふ)の煮物、胡瓜の酢の物、落とし卵の味噌汁、オレンジキャロットゼリー、以上でした。きびなごの天ぷらは、希望者には追加があった。いつも完食しています。出される食事を食べて、間食しなければ、順調です。それでもホームでは色々貰い物が多いので困ります。饅頭類や、カステラ、果物など、食べ過ぎないように心がけています。
★早朝、ミサへ行く途中で、廊下のある部屋の前に、電気がついていた。何やら異なった雰囲気を感じた。後で、女性が亡くなったと聞かされた。
★午前中、独りで入浴した。ゆっくり湯につかる。幸せを感じる。生きているのを感じる。これから先は分からない。湯で一緒になっていた男性は、車椅子になった。変化して行くのが、ホームの人たちでもある。
★園医のお医者さんの診察日。最近、気になる体調がある。「腎機能」を知りたいです、と診察を受けた。看護師さんから、血液を採られる。
★昨日、職員さんが、ベッドの敷きフトン、「ヘルスウエーブ」を持ってきた。故・中島神父さまが使用していた高価なベッド・マットで、もったいないからという。好意は有り難いが、心の動揺も起こる。「眠りの科学から生まれた健康ふとん」と字が読める。厚さ10cmはあろうか。カラダを横たえると、デコボコした感触である。「これで安眠できるのか」。昨夜は寝つきが遅かった。
★早朝、亡くなった女性は、昨日が誕生日だったと聞いた。ホームでは「誰々さんが亡くなった。お祈りましょう」と知らせはあるが、歳は言わない。夕方、お通夜がある。
★何事もない一日のようだが、それでも、このように色々と身近かで何かが起こる。

2017年6月1日木曜日

やっぱり、生きるには、神への信仰です。力が湧く

ホームで、やはり生きるチカラは信仰でしょう。毎朝のミサに参加できない信徒は、定期的に、介護詰所の横に集って、園長神父さまからご聖体を戴きます。
★歳をとるのも大変な苦労があります。気楽に歳がとれないものかと思います。ダメですね。自分ひとりでは、シンドイ。神さまのイエスさまがご聖体となって、私の処に来てくださる。いっしょに苦しんでくださる。そう思うだけで、気持ちは楽になります。
★6月はイエスの聖心の月として、昔から信徒の間で、信心を集めてきました。イエスの聖心を慰めるよう努力するわけです。
★1日は、教会のミサでは「ユスチノ殉教者」の記念日を祈りました。ユスチノの名前から、私、幸一の従弟に、幸雄がおりました。修道士となり、長年、児童福祉施設で働きました。後年は、イタリア・アシジで、6年間、勤めました。2004年12月7日に、東京で、73歳で神に召されました。話しの面白い修道士でした。
★昨夜は、小長井修道院の神父さまの修道名のお祝いで、9人が外食して、「修道生活を頑張ろう」と楽しみながら、決心を新たにしました。誰しも、最後まで、神に奉献した精神を忘れず、微力ながら勤めたいと思っています。