2017年3月31日金曜日

入院3日目 人情が心を温める

6人部屋、みなカーテンを閉めてベッドに横になっている。みなそれぞれに痛みを抱えている。
★朝7時半、看護師がパソコンを押しながら入って来る。6人の患者を2人の看護師が担当している。体温、血圧を測り「尿は出ましたか」こたえは一応に「まあまあです」。
★1日三食を食べて、朝夜2回注射をしてそれだけです。肌着は毎日替えるので洗濯をした。
★ベッドに居て思うのは、やっぱり世の中は人情が大事です。能力も技術も人を幸せにするが、人と人の潤滑油である人情のあるなしで決まる。言ってみれば思いやりです。手垢がついた言葉ですが、病人は人情で心が温まる。
★突然、部屋を変わるように告げられた。6人部屋が4人部屋になり、別の部屋に移りました。窓の側は明るいけど風景は無く、窓の向こうは白い壁です。部屋が変わったのでトイレが遠くなった。
★まあまあ元気にやっています。誰も来ません。

2017年3月30日木曜日

入院2日目 注射が始まる

昨日は夕食前に昭子さんが来た。
★ホームの自室より狭いベッドにいて、いちばん接触する人は看護師さんです。看護師さんの明るさや応対が病人を幸せな気持ちにする。
★入院時には4・5枚の紙を渡され記入することが多い。職業欄があったから思い切って「カトリック修道士」と書いた。看護師さんが興味を持って話し掛ける。宜しくねと看護師さんと握手したのは初めてだった。
★今日から注射を朝9時、夜9時の2回腕に行う。それだけが治療で4日間続きます。
★朝食はパンかご飯か、昼食は魚か天ぷらか選ぶメニューがあった。パンに丸を付けると、自家製のパンらしい美味しいパンが出た。病院の食事は店の料理のような感じがします。
★隣のベッドの男性が話し掛けて来る。「家はどの辺りですか」「駅から山手に上ると小学校、神社、その上にフランシスコ園があります」とはっきり言った。
★午後からの睡眠時間に昭子さんが来た。

2017年3月29日水曜日

入院します。ステントの入れ換え。1週間の予定

昨日の午後、騎士社から着いた「トマさんのことば」の「三校目」の校正は、昨夜、ゆっくりと確認して、ついに原稿は仕上がりました。校正は完了しました。小さい本ですが、変わった本が出来ると楽しみに湧いています。後は、印刷と製本を待つばかりです。期待してください。
★ステントの入れ換えのため、入院の日が来ました。今は流れに乗って行く気持ちです。「忍耐」と「気力」と「信仰」が今の心の骨子です。もう二十何回もステントの交換を行なってきた。歳をつるだけ、辛くなります。いのちは神さまのことです。
★午前10時にホームを出発する。高原修道士さんが車で送ってくれる。神の導きと恵みに委ねて、入院へ出かけます。諫早総合病院です。無事に、ステントの入れ替えが出来るように、お祈りください。
★前の入院と同じ部屋でした。6人部屋。血液検査・尿検査・心電図などを行う。前の入院と同じ部屋だから慣れた感じがします。今夜はゆっくりと休めるでしょう。(トマさんの代筆、16時15分)

2017年3月28日火曜日

あすは、入院か。シスターの死。サクラと菜の花

ホームの庭に、数本のサクラの木がある。今年は、寒気が長引いたせいか、サクラの木は、まだ、ふくらみを帯びた状態です。明日、入院をひかえて、見に行った。1週間の入院後は、花も満開であろう、そんな気持ちで、写真に収めた。
★午前中、自室に居ると、事務室の職員さんが来て、「シスターが亡くなった。今日が、葬式です。10時半からです。もし小崎さんが来られるなら、車で迎えに来ます、と連絡があった。どうします?」「行きます」。即断した。
★シスターの写真がある。去年の5月に撮っている。こんなに楽しそうに笑っている写真は私の手元にない。このシスターが、1年も経たないうちに亡くなった。すぐ、修道服に着替えて、事務室に行くと、事務の職員さんが車で早々と送ってくれた。15分程で着く。シスターの遺体の傍でロザリオを祈り、葬儀と告別式で祈り、別れを告げた。奉献生活、61年。85歳。シスターは静かに眠っていた。
★戦争が終わって、10年目頃、人里離れた山の施設で、男の子供ばかりの孤児たちが暮らしていた。教会と修道院があって、結核を病んでいた私は、そこで療養していた。その頃、上にあった女子修道院に入会したのがシスターで、広島の出身と言った。
★「看護師のシスターが、下の男子修道院で療養するトマさんの所へ行くのに、当時はシスターは1人では行動できなかったのよ。いつも私が看護師の付き添いで同行していました」
★山の中の女子修道会に入会して長年、愛と奉仕の生活をつづけて生涯を終わった。「神さまから呼ばれたから、この道に入った」。そして、この修道女の服を選んだ。尊い生涯だったと思う。シスターの、あの笑いが目に浮かぶ。女子修道院の車がホームまで送ってくれた。途中、集落を車は通ったが、菜の花がイッパイ咲いていた。
★聖母の騎士社から「トマさんのことば」の3校目が届いた。ゆっくり確認して、明日、入院前に郵送しよう。これで校了は終わりとなる。

2017年3月27日月曜日

今朝の気持ち。ささ舟の流れに、身をまかせる

朝、4時45分に起きる。5時20分に教会へ自室を出る。途中、職員さんに会うと、「ありがとう」「お疲れさま」だけ語る。後は何にも語らない。沈黙。今朝は、教会は、3人目だった。司祭と、94歳の女性がいた。自分の席に座る。その時が、一番、落ち着くときだ。瞑目して静かに、心の中で語る。
★次々と、司祭、修道士、信徒が入ってくる足音がする。私は前席なので、後ろの状態は分からない。教会の朝の祈りは、信徒も一緒に共同で、5時40分から始まる。時計を見た。「まだ、時間が、あるな」。今朝、書いた心境のメモが次の言葉です。
★「川の流れ、動いているのか、動いていないのか、わからない程の、ゆったりとした流れに乗った「ささ舟」。身をまかせて流れてゆく。大河か、小川か、それは、わからない。とにかく、まかせて移動していく。今は、そんな心境でおります」
★朝食のとき、同じ食卓の女性に、「ささ舟の絵を描きたいんだが、竹の葉っぱは、なかろうか?」「ウン、さがしてみる。あるよ」。女性は、自室に、竹の葉を一束持ってきた。子どもの頃を思い出しながら、ささ舟を作った。「こう、だったか、な」。そして絵を描いた。
★朝食の後で、介護の人たちが入った後、入江さんと、2人だけで、風呂に入った。なぜか、今日の背中流しは、丁寧に、丹念に、チカラが入っているように思えた。2日後、入院と知っている。
★昼食は、肉入りの五島ウドンだった。デザートにイチゴが付いていた。入江さんは私の隣の席。自分のイチゴ皿を私の方へ「ポイ」と差し出した。私は、フ、フ、フ、と、心の中で笑った。

2017年3月26日日曜日

これから先、どうなるか、不安や心配もあります

もう、何年も前に、泌尿器科のお医者さんが書いて、説明してくれた図です。腎臓からボウコウへ、長いクダが入っている。4ヶ月毎に、交換してきましたが、最近では、半年に延びています。
★今日は日曜日。ゆったりした気持ちの日なのに、何だか心が重かった。今週、水曜日に、ステント入れ換えのために、総合病院へ入院します。1週間の予定ですが、入院となると、揃える品物が大変です。
★前にも入院してステントの入れ換えをしました。昨年の9月でした。その時に書いておいた帳面があります。それを読めば、大体のことは分かります。ただ、今は寒いので、それが気になります。
★ステントを入れ替えなくては、生きては、いけない。残酷な気持ちもします。でも、私には、クダに頼れないと、生きられない。いつまで続くか、心配もあります。「だから、先のことは、どうなるか、分からない」気持ちにもなるのです。これも私に課せられた摂理として、受け入れていくしか、ないでしょう。
★ホームの女性職員さんが、親切にも、買い物や、持参する品物を1つ1つ確認してくれた。助かります。1人じゃ、やはり、心細い。まあ、ラクな気持ちで居りましょう。

2017年3月25日土曜日

神のお告げの祭日。おんな部屋から、シスターへ

神のお告げの祭日です。どこで撮った額のご絵か覚えていないが、私が持っている好きな絵です。マリアさまの所へ、天使が神のお告げを伝えに行く場面です。
★父親の生家、外海の黒崎には、私が子供の頃、「おんな部屋」があった。地元の娘さんたちが神に捧げる意思で、7、8人が共同生活をしていた。私の従姉も入会していたので、度々おじゃました。その清楚な生活、祈りの生活、労働、畑の作業、1つの家庭をつくっていた。
★その中に、「さよさん」という名の「あねさん」がいた。北朝鮮で育った、信仰を知らない私に、本当に親切に公教要理を教えてくれたのは、さよさんだった。奉献者さよさんの死は聖なる最後だったと、何かの冊子で読んだ。
★神学校に入ってからは、夏・冬の休みになると、まず主任司祭の所へ挨拶に行き、次いで「おんな部屋」へ行く。自分たちは食べていない白米のご飯をご馳走してくれるのだった。自己の道具は殆どなく、貧しい暮らしで、しかし朝夕の祈りは、黒のスーツに着替えて、教会で祈った。その姿にあこがれた。従姉も苦労したであろう。
★従姉は、私の名を呼んで、かわいがってくれた。ルルドの聖母マリアが好きで、祈り、歌を好んで唄った。「ルルドのマリア」。従姉は2月11日、ルルドの聖母の日に神に召された。「おんな部屋」のあねさん達は、みな若かった。あれから、ウン十年、「おんな部屋」は、「お告げのシスター」たちに変わった。あの7、8人のシスターたちは、どうなっているだろうか。

2017年3月24日金曜日

「トマさんのことば」編集者の2人が来てよろこぶ

一瞬の出会いとは、このことだろう。教会めぐりを好む2人が、偶然、湯江教会の庭で、私に出会った。「やあ、いらっしゃい」。いきなり「トマさんですか」「ハイ、そうです」「うれしい、ブログ読んでいます」「ありがとう、さあ、アクシュ」。それで別れる。たった15秒の出会いだった。
★それから、2年後、この2人が「トマさんのことば」を編集してくれるなんて、思いもよらぬ出会いだった。今日、2人が揃って、5度目に、自室を訪ねてくれた。
★ちょうど、「トマさんのことば」の校正も上がって、手元にあったので、2人に見せた。2人の目が輝く。「写真が、きれい」「楽しみですね」。1ページ毎に、念入りに確認した。話し合いの末、2箇所、写真を入れ替える。こうして今日、小さな本は、全体がまとまったのです。この後は、印刷、製本を待つのみとなります。
★野々村哲(さとし)さんは、静岡県出身で、広島大学を出て、ドイツの大学に留学する。現在は、ドイツ語講師。写真が趣味です。
★塩沢美樹さんは、福島県出身。東京で看護師となり、東京の総合病院、脳神経外科病棟で働いていた。東日本大震災が起こる。長崎大学医学部看護学科へ編入学して、保健師の資格をとる。現在は、長崎県の新上五島町にある診療所で働いています。
★2人のおかげで、小さな本ですが、「出会いは神の恵み」である体験の実りが出来ます。
★哲さん、美樹さん、ありがとう。日記を読んでくださる皆さん、期待してください。本は無料です。郵送代も無料です。ただ、どうしたら皆さんの手元に届けられるのか、それを今、考えているところです。今日も意義ある一日になりました。

2017年3月23日木曜日

校正の修正が戻る。入浴。歯医者さんで終わる

椿の花咲くホームの庭です。
★こんなに多忙な日は珍しい。いま夕食を終わって、やっと、パソコンに向かっています。
★朝から、長崎の騎士社の担当の修道士さんが、ホームに用件があって、ついでに自室に寄った。「トマさんのことば」の校正を修正した二校を持ってきた。横12cm、縦12cm、72ページになります。ゆっくり各ページを眺めると、喜びが湧いてきます。2、3箇所を修正すれば、完了でしょう。
★入江さんと入浴した。やっぱり、何も言わなくても背中を流してくれる。「ありがたや」です。風呂から上がると、もう昼食でした。お鍋で、ラーメンだった。
★看護師さんから「午後1時30分、出発で、歯医者さんですからね。入江さんと一緒です」。決められた時間に、決められた歯医者さんへ職員さんの車で送ってもらう。初めての歯医者さんです。2時から診療が始まって、終わったのが3時半でした。痛む部分のレントゲンを撮り、歯をくまなく調べる。3人のお医者さんがいる。2人は女性でした。
★歯は、32本ある。「奥歯まで磨きましょう」「1日1回、15:00から15分間、磨きましょう」「歯の根元をよく磨きましょう」。何回か通院して、歯をきれいにしていくそうです。
★帰りは職員さんが迎えに来る。途中で、Aコープに立ち寄り、買い物をした。スリッパと、イチゴを買いました。ホームに帰って、少しゆっくりすると、夕食でした。いま教会のアンゼラスの鐘がなりました。何も考えが浮かびません。教会の祈り、夕の祈りと寝る前の祈りを今から唱えます。これが私の一日です。

2017年3月22日水曜日

ジンセイは、オシメで始まり、オシメで終わります

昨日の「はな」チャンの写真です。こんな写真を撮るのに、苦労しました。あっち走り、こっち走り、おメメをパッチリひらいて、何か興味のあるものを見ると、そちらへ、ヨチヨチ向かって行く。「はなチャン、こっち、こっち」と叫んでも、来てくれないんだなァ。最初は、「でんぐり」を恐れてか、受け取ってくれない。やっと取って、持ってくれたかと、パチ、パチ、デジカメ向けても、しばらくすると、アキタのか、投げ出してしまった。とにかく立たせて撮りたかった。「もう、歩けるよ」。それを見せたかったのです。はなチャン、元気で、育ってね。保育所、頑張ってね。
★きょうは午前中、ホームで、市長選挙、市会議員選挙の期日前投票があった。食堂で行なわれたが、超・後期高齢者ばかり、何十人の投票は、それは見ていて、職員さんたちにはご苦労が大変だった。からだが不自由になった人、字が書けなくなった人、耳が聞こえなくなった人、自分も含めて、若い頃は、みな元気、正常だったのサ。それが歳をとれば仕方がない。ホームには、候補者のスピーカーも届かない。誰が目当てか、湧いてこない。大変なのは当然です。それでも無事に終了しました。
★前も、書いたが、きょうも再び思ったよ。「ジンセイ、オシメで始まり、オシメで終わる」
★サクラのツボミは、どうなっているか。選挙の後で、屋外に見に行ったが、ホームのサクラは、ツボミが少しふくらんだ状況だった。もう春は近い。

2017年3月21日火曜日

はなチャン、笑って、喜んでいるよ。アリガト

茨城の「まゆみ」さんから、「はなチャンへ、昔の子供のオモチャです」と、きれいな「でんぐり」が送られてきた。3月6日の日記に載せました。待って、待っていたよ。はなチャンが来るのを待っていた。
★昼食の後、ベッドによこになっていると、「はなチャン、つれてきたよ」と母親の絵里さんが声をかけた。すぐ起きて、2階の介護詰所へ向かう。「おお、はなチャン、歩いているよ」。でんぐりを渡すと、めずらしそうに近づいて、手にしっかり握って、喜んだ。「ああ、よかったね」。茨城の「まゆみ」さん、渡しましたよ。
★はなチャンは、職員さんは勿論、お年寄りや、車椅子が珍しく、皆さんから可愛がられた。「人生の一年生だよ」。3月2日が誕生日で、満1歳になった。もう歩けます。お母さんが言った。「カレーを食べた。4月から保育所へ通います」。母親の絵里さんは、ホームの職場に復帰するようです。
★さて、「トマさんのことば」の校正が終わって、きょう、聖母の騎士社へ郵送しました。次に、もう1度、校正します。小さな本ですが、日記を愛読して下さる皆さんにお送り出来ればと、楽しみにして、日々を送っています。きっと喜んでもらえるでしょう。希望があると、生きるのに元気が出てきます。

2017年3月20日月曜日

昨夜の会食。話題はカシアノ修道士。校正順調

昨夜は、修道名を祝う会食があった。司祭が4人。修道士が3人。長崎街道沿いのレストランで、カトリック信者の経営でもあり、もう何十年と通っている店です。すごく繁盛しています。
★修道名を祝うのは、ヨゼフ橋口修道士さん。80代に入った重鎮です。「聖ヨセフの、いい名前をもらったな」。もう、これも何十年前の話ですが、炊事場で働いていて、炊事場の主任がポーランド人修道士カシアノさんだった。「カシアノさんから勧められたんです」
★カシアノさんといえば、みな、彼の料理を食べて我々は育ってきた。戦後の、一番食べたい時に、食料が不足だった。どれだけカシアノさんは苦労したか。お米は少なく、イモで育った。イモじゃ背丈が伸びないよ。
★カシアノ修道士といえば、聖ヨゼフの熱心な信心家であった。生涯、炊事場で聖ヨゼフの如く黙々と働いて、聖ヨゼフの信心の本を出版し、信心を広めた。彼の最後は、聖ヨゼフに見取れての死であった。亡くなる夕食まで、食事を作って、夜、自室に入って、静かにイキを引き取った。入会の時から、コルベ神父から炊事場の主任に頼まれた。うらやましい修道士模範の生涯だったと思う。
★きょうは、雨です。午前中、コーラスがあり、入江さんと入浴があり、「トマさんのことば」の校正をつづけた。3場面、6ページ増やしてくださいと騎士社からの願いに、まとめるのに苦労している。あっと言う間の一日だった。

2017年3月19日日曜日

信徒発見の5代目来る。本は順調。明日は祝日

17日は、「信徒発見の聖母」の祝日だったが、19日の今日、最初に信仰を打ち明けた一団に入っていたクララ・テルの子孫の森内さん夫妻が訪ねてきた。
★お父さんの森内秀雄さんと、私は仲良しだった。秀雄さんは8mmカメラで、後にはビデオで撮影する記録者で、浦上の教会や、学校などの行事も熱心に記録して、貴重な資料として残している。7年前に、90歳で亡くなった。
★森内秀雄さんは、信徒発見のテル婆さんから、4代目になる。テルさん①の子供が三八②で、その子が三右衛門③、その子が秀雄さん④になる。今日、訪ねて来たのは、5代目となり、子供が6代目、そして孫が満1歳になる。洗礼名はヤコブ。7代目だ。
★私が初めて森内家を訪ねたのは、三右衛門の妻、イチさんが健在であった。イチさんから、テル婆さんの話を聞いた。嫁いできたとき、クララ・テルさんは78歳で、お元気だった。こうして考えると、7代に渡って、信仰を伝えてきたというが、250年の潜伏時代が、肌で感じて、伝えていくのは可能な気持ちがする、と森内さんは言った。
★下の写真は、森内秀雄さん、ツギ子さんご夫妻です。秀雄さんが亡くなられて、その年にツギ子さんも神に召された。お世話になりました。秀雄さんと私と2人で、京都から長崎まで、日本26聖人が歩いた旧街道を車で走り、夜は教会で日本26聖人の映画を上映して、11日かけて西坂に着いた思い出もある。なつかしいです。
★さて、話しは変わりますが、「トマさんのことば」の校正が、昨夜、届きました。よく出来ていると満足しています。楽しみにしていてください。幾つか修正して、騎士社へ送ります。3月は年度末で、製本の方が、込み合っていて、4月に成りそうです。
★今夜は、隣の修道院から夕食の会食によばれています。明日が、聖ヨセフの祝日で、ヨゼフ橋口修道士さんの修道名のお祝いになっています。お祈りください。

2017年3月18日土曜日

3月の誕生会。氷川きよしのズンドコ節、踊るよ

待ちに待った「誕生会」。改装した食堂に、全員が集まった。70人近くは居るかな。昼食時に、10人の今月生まれの人が祝われた。
★司会は高原修道士さん。まず、園長神父さまの挨拶がある。「みなは家族で、ここから神さまへ帰って行く」。はっきり言う。
★名前が呼ばれて、拍手が起こり、「ハッピ・バスデイー」を唄いながら、園長神父さまと職員が、お花と、小さな灯と、プレゼントを、その人の席まで運ぶ。これを10人分、繰り返すわけです。
★真っ先に呼ばれたのが、わたしでした。3月1日が誕生日だったからね。やっぱり嬉しいよ。園長神父さまが問うた。「トマ、何回目か?」「3回目」「長生き、せろよ」。長生きは、神さまのお恵みだよ。長生きは、辛いこともあるけどね。
★乾杯があって、食事が配ばられて、食べ始め落ち着くと、出てくるのが恒例の「出し物」です。毎月、3人が担当だが、2月に行なわなかったので、6人の職員さんが出てきた。
★先ずは紹介。炊事場の人、洗濯係りの人、介護の人、看護師さんもいる。「何の踊りですか?」「氷川きよしのズンドコ節です」。賑やかな音楽に乗って、踊りが始まった。ホームの良さは、建物や設備もあるけれど、職員さんとお世話になる人との家族感にあると思います。
★でも、歌の文句にあるじゃないですか。「つらい時でも泣き言は、クチを結んで、一文字」。これで、いこうよ。
★メニューは、赤飯、お刺身、豚肉のバター醤油焼き、春の炊き合わせ、すまし汁、桜餅、リンゴ・ジュースでした。

2017年3月17日金曜日

日本の信徒発見の聖母の祝日。大浦のマリアさま

よく、巡礼団を案内して、大浦天主堂を参詣しました。その時、私は、こういう説明をしていた。
★禁教にもかかわらず、キリシタンたちは希望をもって、密かに教えを子孫に伝えました。①7代経ったら、神父さまが、パーパ(教皇)の船でやってくる。②その神父さまは独身である。③サンタ・マリアのご像を持ってくる。
★大浦天主堂が建てられた時、浦上キリシタンが訪ねた。「あなたは、どちらから来られましたか」「パパさまから遣わされて、ローマから来ました」「ローマのおかしらさまのお名前は何と申しますか」「ピオ9世と申します」(これで①はパスした)「あなたの奥様にご挨拶したい」「奥さんは居りません」「お国に置いて来ているのでしょう」「いいえ、わたしは独身です」(これで②がパスした)「それならサンタ・マリアのご像はどこにありますか」「ハイ、マリアさまは、これですよ」(③もパスした)。1865年3月17日の出来事でした。
★コルベ神父は上海から汽船で、長崎港に入った時、大浦天主堂を見つけた。下船するや、直ちに大浦天主堂を訪ねて、サンタ・マリアのご像の前にひざまずき、非常に喜び、祈った。大浦神学校で哲学を教授したが、行き帰りには必ず、この祭壇の前で祈っていた。今日が、キリシタンが、カトリックに復活した日です。
★「信徒発見」と呼ばれているが、親友の水浦久之は「神父発見」だと主張した。
★今日は、ミサの後で、修道院で朝食をとり、高原修道士の運転で、長崎のクリニックへ診察に出かけた。午後から、少し休んで、ショッピングの買い物のバスが出ました。イチゴ、ふりかけ、色鉛筆など買った。

2017年3月16日木曜日

すごく、ふしぎな出会いで、小さな本が出来るよ

小さな本、「トマさんのことば」が出版されるのを、楽しみにしている。今日、聖母の騎士社の担当の修道士さんが、ホームに用件があったついでに、自室に来てくれた。「どう、本のこと?」「現場の係りに渡しました」
★午後から、騎士社の作業の係りに電話をかけてみた。「頑張って、頼むよ」のつもりが、「作業は順調で、明日、郵便で、校正を送ります」という返事に、耳を疑うほど、おどろいた。「え?もう、出来たの?早やーい」。トマさんの本だから、最優先したのかも知れない、ありがたいと思った。
★今井さんの修道誓願の日、哲さん、美樹さんにも来てもらった。写真は、その時の2人です。あれは、11日の土曜日でした。それが明日、校正を送るとは、1週間も経っていない。もう出来つつあるなんて、本当に早い。
★「人生で、ふしぎなこと、あったか。あったよ」。哲さん、美樹さんの出会いが、そうだった。2015年の1月、教会巡りをしていた哲さんと、美樹さんが、湯江教会へ来た。午後からのロザリオのため、教会に入ろうとしていたトマさんに、ぱったり出会った。30秒、遅くても、早くても、2人には会わなかったであろう。
★一瞬、言葉を、二言、三言、かけた。「トマさんですか?」「そう」「ブログ、読んでいます」「やあ、ありがたい。ハイ、アクシュ」。それだけ言い残して別れた。ほんの数秒の出会いが、「トマさんのことば」の本の出版に発展しようとは、誰が想像できただろうか。
★「ふしぎなこと、あったよ、沢山、ね」

2017年3月15日水曜日

梅ぼしは、塩と天然水と味付けで、見事に変わる

小包が届いた。和歌山県の龍神村の隆さん、美和さんからです。ごらんの通リ、最高級の「梅ぼし」です。
★美和さんの手紙が添えられていた。「お出逢いは、うめぼしからですものね。本当に、なつかしいですね。昔の事、考えると、涙が出てきます。私も80歳になりました」
★龍神村は忘れもしない。戦後、外国人宣教師が来て、教会が建ち、村人が集団改宗を行なって有名になった。もちろん私も何度か取材に行った。数人のカトリック信徒から始まって、一千人近い受洗者を出している。
★地域的には、交通の不便な村だった。訪ねるうちに、隆さん、美和さん夫妻とも懇親となる。隆さんは読書好き。自宅の庭で、家族で、バベキュウーを食べたこともあった。私が引率して、ご夫妻も一緒に、コルベ神父のポーランド、イタリア・アシジ、フランス・ルルドへ旅行した思い出もある。手紙には「あの旅は、私たちの心のタカラです」とあった。龍神村の「梅ぼし」には、長いつながりがある。
★隆さんの本業は、建設業だが、もう何十年も前に、山を開いて、多くの「南高梅」を植えた。それらは見事に実り、美和さんが独特の味付けを開発して、梅ぼし作りに専念してきた。ホームに入った私にも毎年送ってくださる。
★「深山(みやま)の梅」といい、自然の美しい水で塩抜きした後、龍神村の「しいたけ」を使い、味をととのえ、無添加で漬け込んでいる。ツブの大きさに、びっくり。やわらかくて、梅ぼしとは思えない。果実だ。楽しみに食べています。
★隆さんが言っていた。「自分は父を早く亡くして、叔父の家で苦労した。建設業で働いて、仕事で激流に沈んだこともある。人生は、梅ぼしのように、苦労で、塩漬けされる時代もあるし、暑い太陽に干される時期もあるだろう。そして最後は、シワくちゃになる。でも、ですよ。椎香梅(シイタケの香りの梅)は、味付けによって、すばらしい食品に変わるのです。人生も同じじゃないですか」
★ただの、シワくちゃじゃ、ない。うまーか、うまーか、の梅ぼしです。隆さん、美和さん、長生きして、梅を作りつづけてください。

2017年3月14日火曜日

もう春は、そこまできた。陽あたりの、よいホーム

久しぶりに屋外へ出てみた。さわやかな感じ、春は近くまで来ている。冬をどのように乗り切るか、課題だった。
★「体調は、どうですか?」。電話がかかると、必ず聞かれます。「ええ、まあ、なんとか、やっています」。歩けますか、三食、食べていますか、介護する人はおりますか?年老いた知人には、ホームに入るなら、早いうちに入りなさい、と勧めます。歩けるうちにホームに入って、じょじょに老いて、お世話になっていく。それが幸いです。車イスになって入ると、周辺の状態も分からない。室内に閉じこもりがちになる。見ていて、かわいそうです。
★でも、ホームに入るのは、一大決心が要ります。やはり抵抗がある。出来れば自分の家で老いたい。それが普通の考えでしょう。
★私は、早くホームのお世話になって、よかったと思っています。ここにも人生があるよ。まだ終わりじゃない。2年4ヶ月が過ぎた。1年目は、修道士誓願の金祝があった。2年目は、88歳、米寿の年だった。
★今年、3年目は「トマさんのことば」(無料)が出来るのを楽しみにしている。編集してくれた哲さん、美樹さんのおかげです。日記を読んでいる人に、郵送料も無料で、届けたいのが望みです。4年目は、90歳だしね。
★病気ばかりしていた自分が、こんなに長く生きていいのかね。気がつけば、親友は、みな居なくなった。寂しくなった。
★いつも考える。「これまでの人生で、大きな壁にブチあたると、そこには助ける人が、必ず居た。また壁に突き当たる。そこには善きサマリア人が居た。だから、今が有る」。この気持ちは、忘れない。「だから、今が、ある」
★ホームの女性が、腰をまげて、車を押しながら言った。「自分のからだは、他人には、わからん。大事に、せんば、ね。ムリせんごと、ね」
★まだ、サクラのツボミは、かたい。ああ、春が、待ち通しい。

2017年3月13日月曜日

少女は育って、憧れと恵みの中に、シスターになる

身振り、手振りで話す、愉快なシスター。自室に訪ねて来た。同僚のシスターが焼き上げたという、大きな、貫禄のあるケーキを「おみやげに」と差し出した。「写真を撮らせてね」と声をかけると、こんな神妙な身なりになった。
★このシスターのことを、一日一話で片づけるのは、なにやら、もったいない。シスターになって、16年になる。看護師、助産師の資格を持っている。
★とにかく「コルベ神父さまが、大好きで、本当に大好きで」と手を振り回して語る。こっちの気持ちが、楽しくなりますよ。小学生の頃、母から「コルベ神父さま」の本を読みなさいと、渡されたが、日本での生活は書いていない。
★就職して、東京の四谷の店に行った時、「長崎のコルベ神父」を見つけて、「ああ、これだ」と喜んで、朝まで寝ないで読み続けた。よほど気に入ったらしい。
★読みふけった朝は、もうコルベ神父さまのことで、心はイッパイになる。嬉しくて、嬉しくて、幸せな気持ちになった。そして、ある病室へ行くと、なんと、その病者の枕元に、長崎の「聖コルベ小聖堂」の写真が置かれているではないか。思わず、「あれ、コルベ神父さま」と叫んでしまった。ソバに居られたお父さんが、「自分の結婚・銀祝のときに行きました」と言われて、その写真を戴いた。写真を部屋に飾って、「いつか、ここに行きたい」と願っていた。
★20代の前半の頃、いよいよ長崎へ。トマさんに会い、今は天国にいるフランシスコさんにお会いした。それから、10回は長崎へ行っただろう。「長崎の空気、信仰深い心が、強く心に残り、何度でも、行きたーィ」とシスターの手がやたらと動く。10回も来たからには、トマも覚えている。お母さんと来たこともあった。
★積もり、積もって、シスターになりたい希望が湧いてきたんですね。「人は、このように、神さまに導かれるのか。良かったね」
★「コルベ神父さまが、みんなの『光』となったように、私も、みんなのヒカリになりたい。修道名は、ルミナ、です」
★ロザリオの時間になったので、お別れした。いただいたケーキは、ロザリオの後、私の部屋の前の廊下に、長いソファーがあって、7、8人の女性群が、いつも、おしゃべりしている。ケーキを見せると、笑いと、喜びのなかで、ワイワイ言いながら食べた。私も、一切れ、食べました。シスター手作りケーキは、うまかった。

2017年3月12日日曜日

今井さんの誓願日に、「トマさんのことば」の朗報

今井さん(写真・右から2人目)の誓願式に、「トマさんのことば」の編集者である哲さん(左側)と、美樹さん(右側)が参加しました。2人は、小崎修道士の日記の愛読者であるし、今井君も日記にも度々紹介されて、「ああ、今井君なのね」なんて、声をかけられる事実もある。お互いに日記には関係があります。それで小崎修道士が哲さん、美樹さんを式にお招きしました。
★誓願のミサが終わって、祝賀会のとき、哲さんと、美樹さんを、管区長神父さまと、院長神父さまに、2人を紹介しました。毎日、日記を書いていますが、この2人は、日記から、短い言葉と写真を選び、「トマさんのことば」という小さな本を、正・続、2冊作りました。「これが、そうです」と、実物を見せて、「この本を発行したいのです。許可をお願いします」と率直に頼みました。
★管区長神父さま、院長神父さまも喜んでくださり、すぐ、管区長神父さまが、印刷所の担当の修道士を会場内から見つけて連れて来られて、「この本の印刷をよろしく」と、出版への手渡しをしてくださいました。
★祝賀会の最中でしたが、印刷担当の修道士さんと、2人と、私と、「トマさんのことば」を印刷発行するように具体的に話し合いました。縦12cm、横12cm。64ページの小さな冊子になります。
★これで希望が出て来ました。日記を読んで下さる人たちに、「トマさんのことば」を無料で、配布できれば幸いです。喜びでもあります。今井・神学生の誓願式の日に、出版の見通しが立った事は、記念の記憶になりました。
★これから、どのように作業が進行するか、楽しみです。出版資金の手立ては出来ています。安心してください。日記を読んで下さる皆さんのもとへ届くように、可能になれば、いいですね。

2017年3月11日土曜日

うどん屋の今井君。誓願を立てる。家族の祈り

朝、9時半から出かけて、4時に帰りました。長崎・聖母の騎士で、今井裕次郎さんの修道誓願(有期)式が行なわれました。大勢の司祭、修道者、信徒の篤い祈りが捧げられた。今井さんのお母さん、家族も参加された。お母さん、家族は初めての教会でした。
★今井さんは、これまでも日記で度々記載しましたから、「ああ、あの人ね」と、ご存知の人も居られるでしょう。1年間の修練を終えて、修道者としての第一歩を踏み出したのです。写真は、祝賀会で、お礼を述べる今井さんです。右側は、お母さんと、ご家族です。
★ある年の大晦日に、聖コルベ館へ数人の青年たちが見学に来た。その中の1人が今井君だった。彼は高校生のときに洗礼を受けた。3年間は、修道会に入会は出来ない。その間、高校時代の奨学金108万円を返すため、うどん屋で働き、即座に返金した。
★聖コルベ館を訪ねて、コルベ神父の愛に感動して、小崎修道士の話を聞いたりして、何度か聖コルベ館を訪ねて、コンベンツアル会の司祭なる決心をしました。
★今から再び東京へ移って、大学で勉強をつづけます。司祭になれるのは、まだまだ先でしょう。試練も、困難も沢山あるでしょう。お祈りを持って助けて、支えてください。
★今日は、喜びの日でした。

2017年3月10日金曜日

春の空気を吸う。知人の車で外へ。楽しんだ

温かい春のような日がつづきます。ホームの中ばかり歩くのではなく、屋外も歩いてみようと、知人の藤下先生を呼び出し、2人で出かけました。
★写真のプリント屋へ、電気店へ、薬局へ、そしてお昼は、諫早の福田屋で、「うなぎのかば焼き」を食べました。外を歩くと、少し、よろめきますね。歳を感じます。午前10時頃出かけて、午後1時に帰りました。
★午後3時のロザリオは、四旬節なので、十字架の道行を行ないました。園長神父さま初め、皆さんは熱心に唱えました。改心を願います。
★ホームの改装工事が進んでいますが、食堂が立派に成りました。今まで仮に、4箇所に分かれて食事をしていたので、職員さんたちも大変な仕事でした。食堂が1箇所になり、70人あまりが一緒の場所で食事をしています。
★それでも、これだけの人数で、車椅子で介護が必要な人、車椅子でも自分で動ける人、押し車の人、普通に歩ける人など、さまざまな状態なので、食べさせるために、お世話をする職員さんたちも真剣に忙しく働いています。見ていて、本当にご苦労が多いお仕事だと、はっきり分かります。本当に、ありがとう。
★最初に車椅子、押し車の人の席を決めて、後は手のかからない人、自由に席を自分で決める。決めるのは、「アッ」と、いう間です。私は、外側の大きなガラス戸の傍で、入江さんは、私の席の隣になった。「やっぱり、いっしょ、だよ」

2017年3月9日木曜日

今日も、み旨のままに、お導きください。祈る

絵てがみ教室で描いたコップです。
★5日前の日記に、もと聖コルベ館に勤めていた納富さんが来られたことを書きました。そのとき、おみやげに下さったコップです。高さ10cm。クチの幅9cm。りっぱな、デンとしたコップです。
★気に入りました。赤・富士に、雲がかかっている。富士山から発する7つの色でしょうか。右の上の、ヘンな記しは、古代の文字で、「春」と読みますと、先生のお言葉でした。
★私は最近、祈りの時に、「今日の、恵み、導きに、感謝します」と胸篤くして語ります。特に「導き」に、チカラを入れます。
★『神は、導かれる。神の摂理、神のみ業です。運命は使いません。私がホームに入るようになったのは、神の導き、これも摂理であった。その中で、私という人間が、神に仕えるホンモノであるのか、どうか、試されている。
★私が言えることは、み旨のままに、との願いです。なぜ、自分がここに居るのか、それは、わかります。しかし、これから如何になるのか、神のお望みは、私には、わからない。人間は弱いです。高徳な人でも、平穏に終わらない人も居る。人の幕引きは、ゆっくり、穏やかに、閉めたいと思います』
★以上の文は、今朝、ミサ前の、静かな時間に、走り書きで、メモしました。「今日も、み旨のままに、お導きください」

2017年3月8日水曜日

福岡から2人の女性が面会に来る。話は尽きない

福岡から、電車を乗り継いで、3時間かけて、訪問に来られた。昌子さん(左)と、須磨子さん。写真の右上に生け花があるが、誕生日に2人の名前で贈ってくれた花です。
★遠方から、わざわざ訪ねてくれて、ありがとう。昌子さんは旅行の添乗員、フランス・ルルド専門のガイドさんです。「ルルドの町は洪水で大打撃をうけたが、ほぼ回復しました」。ルルドの女性が、日本へ来て、長崎のコルベ神父のルルドを参詣した。小崎修道士にも出会った。ルルドの女性とも知り合いになる。「写真を撮らせてください。ルルドの女性に送ります。観光客の店を開いています」
★須磨子さんの方は、看護師で、既に引退されて、教会のお手伝いや、各方面で活躍されている。登山が趣味で、お元気な女性です。話題が豊富で、殆ど須磨子さんが賑やかに語っていた。
★「なぜ、来る気になったの?」「2人の空き時間が、ちょうど合ったからです」
★須磨子さんとの出会いは、もう長くなる。小学2年の聖(ひじり=ひっちゃん)を、自宅マンションの近くの道路で、交通事故で失った。会社員の青年が、呆然と立っていた。それからの苦しみは、もんもんの日々。相手を許すのは、耐え難い悲しみだった。それでも天国から、ひっちゃんの声が聞こえる。「ひっちゃんは、許しているよ。パパも、ママも、許してね」。許したがゆえに、心の目が開かれた。パパは洗礼を受ける。青年の結婚式には、ママと長男が参加して、祝福した。何十年経った今でも、ご縁はつづいている。
★悲しい歴史を乗り越えて、今の明るさ、喜びがある。苦しみは、いつまでも抱えまい。これら一連の実話は、自著「信仰の旅路」(聖母文庫)にも収録した。
★2人は、自室から、教会のロザリオにも参加し、祈った後、入江さんにも会った。昌子さんが、「入江さんですよね。ブログで見ています」。福岡から来ていると聞いて、入江さんは、娘の主人が、「福岡の自衛隊・音楽隊長をしているので、会いに行きなさい」と勧めていた。
★明るい笑いを残して、2人は去った。

2017年3月7日火曜日

傾聴ボランチアさん。聞いて、切り返す、癒し

高原修道士さんが、1人の女性を自室に連れて来た。首から大きく名前を書いた札をさげている。「傾聴ボランチアの」と言って札をあげ、名前を告げた。「あなたが、おっしゃるお話しを聞きたい」と言われる。
★興味を持った。人に、自分の苦しみや悩みを聞いてもらうと、肩の荷がおりる、と思っているので、まず訪問者の「あなたのことを聞きたい」と問いかけてみた。「看護師をしているが、ネットで、傾聴ボランチアがあるのを知って、そのグループに入って実践している。まだ、そんなに長くはない経験なんです」。にこやかに、ほほえまれる。
★普通に悩みや、お話しを聞く、それではなくて、傾聴とは、お話されたことを「繰り返して、その人に聞かせる」のが特徴です。例えば、「ホームの生活は、苦しく、寂しいですよ」と、おっしゃると、「ホームの生活は、苦しく、お寂しいのですね」とお返しして、お聞かせするのです。どんなお話しでも、いい。今の話から、昔の話、思い出、楽しかったこと、言われることを、お聞きして、その言葉をお返しするのです。意見をしたり、方向を示したりしません。5分、10分、黙っておられると、こちらも黙っているのです。言葉のやり取りをしているうちに、元気を取り戻したり、生きるチカラを得たり、良い結果を得ることがあります。それを目標にしています。
★ああ、わかりました。言葉の、そのままの、やり取りをしているうちに、自分の言葉を他人の声で、自分に聞かせることによって、何かチカラが湧いてくるんですね。言葉のやり取りの中で、何か人間の本性というか、シンになるもの、そういうモノが開くんですね。そのシンになるものは、何でしょうかね。
★思うんですよ。人間には、心の奥に、性(さが)というか、業(ごう)というか、いつ、ついたか知らないけれど、心にキズがついた、その人の隠れたところに、ある傾きがあると思います。そこまでは言えないけれど、人間の心の層は複雑ですよね。傾聴ボランチアのお仕事は大変ですね。「ホームへの足は、バスと列車でした」。ご苦労さまです。
★私の話の中で、ボランチアさんの繰り返す言葉も、幾つかあった。私の悩みらしきことや、心に掛かっていることは、語らずじまいだった。

2017年3月6日月曜日

「はな」ちゃんに、あげてと、大きな「でんぐり」

ホームのかわいこちゃん、「はな」ちゃんだよ。ときどき、日記に載せて成長を見守っているので、読者からも覚えられています。はなちゃんは、かわいい。お年寄りばかりのホームに現れると、パーッと明るくなる。
★茨城の「まゆみ」さんから、大きな封筒が届いた。映画「沈黙」のパンフレットと、遠藤周作の「沈黙」の原作本が入っていた。手紙が入っており、「映画は、大浦のコルベ館で、小崎さんが遠藤さんを案内した様子を思いながら、観ました」と書いてあった。
★封筒の中には、オマケが入っていた。手紙には、つづいて、こう書いてあった。「もう、ひとつ、同封したものは、私の手作りですが、『でんぐり』という、昔の子どものおもちゃです。昨年、妹の孫に喜んでもらえたので、『はなちゃん』にもプレゼントしたくなりました。はなちゃんに会ったら、手渡してもらえれば、うれしいです。
★私は今、特養で働いています。同じ介護職として、はなちゃんのママを応援しています。そして、そちらの園で働ける事を、ちょっぴり、うらやましく思います」
★『でんぐり』は、ひらぺったい、ウチワのようですが、開けば、こんなに丸く、色とりどりになります。カラフルで、大きなボールのようなので、はなちゃんのかわいいお手手に持たせると、きっと、きっと、ニコニコと喜んでもらえるでしょう。
★日記の読者は、細かく覚えていてくれているんですね。うれしいです。茨城の「まゆみ」さん、はなちゃんを思い出してくれて、ありがとう。

2017年3月5日日曜日

人と人との和こそが幸せ。ホームの善しは決まる

先週、92歳のカトリック女性が亡くなって、葬儀・告別式が行なわれた。1人の人生が終わった。
★聞かされた話によると、外地で生まれて、終戦後に引き揚げて、ある福祉の施設で20年、別の心身障がい者の施設で15年あまり働いて、結婚はしなかったので、ホームへ希望をして入るときは、車を運転して来た。
★それから15年、ホームで生活する。歳を重ねていく毎に、自然と体力も弱り、杖をついたり、最後は部屋から出ることはなかった。今度は、若い男性、女性の介護職員からお世話をされる身となった。
★この女性の葬式にあずかり、祈るとき、こんな思いがアタマをよぎった。自分の生涯は、人を温かく介護する人生だった。それが晩年には、車を運転してホームに入ったのに、年を得るごとに、若い人から介護を受ける身となった。
★人の人生とは、このような「ふしぎ」な、与える、受ける、つながりで廻っているのではないか。「回帰」という言葉が浮かぶ。
★施設の善しあしは、建物の構造や、部屋の広さや、設備の良さや、食事や、浴場や、色々と条件はあろう。しかし一番の「善さ」は、介護する人と、介護される人との、人と、人の温かい家族的な触れ合い、和やかさ、信頼、感謝、そういった「和の心」にあるのではないだろうか。
★「いのちを生きる」とは、与えてきました、そして受けてきました、そこにあると思う。亡くなった女性の顔は、若々しく、美しく、この上なく安らかで、誰もが、「ほんとうに、きれかったねぇ」とささやきあった。

2017年3月4日土曜日

聖コルベ館で勤めた納富さん。話の聞き上手です

ホームの職員の岩田さん(写真・左)が、突然、納富さんと一緒に自室に来た。
★納富さんは、私が聖コルベ館に居たとき、事務室に勤めて、来館者の案内などのお手伝いをしていただいた女性です。「4年と少し、勤めました」。納富さんにはお世話になりました。その間、聖コルベ館を訪ねた人は、納富さんの思い出もあるでしょう。
★訪ねて来る人の話を聞いて、1つ、1つ、優しく、うなずいて、理解して、共感していた納富さん。特別なオーラを持っている女性でした。あの頃の聖コルベ館には、楽しい思い出が沢山あります。
★今の複雑な世の中、悩んでいる人は多い。その人たちの話を聞いてあげることで、その人は肩の荷が楽になり、元気を取り戻します。聞いてあげることが癒しの基本です。大事な方法です。納富さんは、その核心をつかんでいる女性でした。
★今は、諫早市唐比(から・こ)北に、「ひつじのじかん」という名の店を持っているそうです。「何軒か、店もありますから、ぜひ来てください」とのことでした。せっかく来ていただいたのに、詳しい話を聞けなくて、残念でした。
★2015年の年の暮れには、次男さんを連れて来られた。大学生で、警察官の志望と言っていた。あの息子さんは、どうなったのであろうか。私が、おしゃべりするばかりで、結局、納富さんの温かさに呑み込まれた時間でした。
★私は、今も思う。修道服を着て、聖コルベ館にイスに腰掛けてでも勤めたい。するとコルベ神父を訪ねて来る巡礼者は、修道士が迎えることで、ホッとするでしょう。修道服がモノを言うのです。中身は、弱い、コケやすい者です。それでも、いい。神の恵みに支えられて、出会いを楽しみたい、そういう日が来ないだろうか。

2017年3月3日金曜日

誕生日に、マリア千草さんが、お祝いの贈り物

こんなに心温かく手配してくださる人も居るんですね。有り難いことです。誕生日に、長崎から、マリア千草さん(写真・左)と、運転の女性が来られた。「89歳、おめでとう」と、ホームでお祝いを分かち合うために、寿福さんの和菓子、入居者・70人分と、職員さん・70人分、合わせて、140人分を持って来てくださったのです。
★夕食に全員に配られて、喜ばれました。皆さんから、「ありがとう」「いただきました」など言われ、なかには「マリア千草って、いい名前ですね」との声もあった。
★白い袋に入って、「田川幸一様、八九才、おめでとう、マリア千草」と熨斗(のし)紙に印刷されています。饅頭などの重い品でなく、和菓子の軽い食べ物でしたので、好かったと思います。上品なお菓子でした。このようにまで、好意を尽くしてくださって、感謝いたします。
★昨年も、マリア千草さんは、私の88歳、米寿を祝って、ビニール袋に入ったパン2個を、ホームの全員のため、132人分を持って来てくださった。パンにはサクラの花びらで飾られていました。こんなに2度も尽くしてくださって、有り難いです。
★マリア千草さんとは長い付き合いで、私の欠点もよく知っている。「トマさんは、短気で、気がみじかい。わがままなところがある。人の言うことを聞かない」。耳の痛いところです。でも本当だから、笑いながら受け止めています。これからも、よろしく。

2017年3月2日木曜日

はなちゃん。誕生日、うれしいよ。ごらんの袋

「はな」ちゃんが来た。母親の絵里さんは、ホームの職員で、育児休暇中。はなちゃんの誕生日は、去年の3月2日。満1歳になる。私の誕生日が、3月1日だから、1日違い。やっぱり親近感を感じるね。はなちゃんは、もう歩けるようになった。「歩くところを撮りたいから、床に立たせて」と願うと、はなちゃんは床では泣き出す。とうとう、あきらめた。はなちゃんの無事なる成長を願う。
★89歳の誕生日には、幾つもの贈り物が届いた。その中で、静岡県浜松の「ひろみ」さんから、大型の郵便がきた。大きなサイフのような袋が出て来た。「なんだろう?」と、チャックを開いて見ると、ごらんのとうな「背負い袋」になった。何んと呼ぶのか知らない。これは便利です。喜んで受け取りました。
★手紙が入っていた。「おめでとうございます。ご自分の足で歩き、手もしっかり動いて、文字を書いたり、パソコンを打ったり、現状が維持出来ることをお祈り致します。そして来年は90歳のお祝いが出来ますように」。ひろみさん、ありがとう。

2017年3月1日水曜日

89歳の誕生日。ミサで感謝。皆さんから祝福

待っていました、この誕生日、89歳になった。人生の重さを感じます。今日は教会では「灰の水曜日」にあたり、四旬節の始まりで、灰をアタマに被りました。「汝は、塵(チリ)なれば、チリに帰るべし」。誕生日ですから、ミサをお願いして、これまでの感謝の祈りを捧げました。
★ホームの職員さんから、お祝いの色紙をもらった。ホームに入って、3枚目になる。自室の壁に並べて飾っている。「こんどは何と言う字が、いい?」と言われて、「忍と書いてください」。今は、忍耐と気力が必要です。忍には、忍苦、忍従、忍術、忍耐、忍辱(にんにく)などがある。いずれも、イヤなこと、苦しいことを、耐え忍び、従い、苦境にあっても心を動かさないことです。今、これが必要です。
★これまでの「過去」は、もう、ない。「今」が大切だ。「今」に生きよう。
★長崎の白浜さんが、お祝いのケーキを持って来てくれた。誕生ケーキを食べて、89歳まで「生かされた感慨」を深くしました。
★シスターから手紙が来て、「神さまのお恵みに感謝致します。まだまだ、たくさんの人に希望を与えるために、生きていてください。トマさんが生きていてくれるだけで、どれほど、たくさんの方々が勇気づけられるか、これからも、がんばれ」と励まされました。
★弱く、迷いやすい私ですが、み旨のままに、生きよう。