2016年10月11日火曜日

老いの花を、この場所で、咲かせよう。小さくても

「置かれた、場所で、咲きなさい」。そんな言葉を、どこかで、何回も耳にしてきた。その意味は、自分の「今」に満足して、自分なりに、一生懸命、自分の花を咲かせなさい。小さな花であっても、いい。人の目に止まらなくても、いい。そーっと、「置かれた」場所で、目イッパイ、咲かせておれば、必ず見てくださる御方がいる、ということだろう。
★歳をとると、カラダも、アタマも弱り、機転が利かなくなり、衰えてくるのは確かです。「あの人は、歳をとってもリッパです。90何歳なのに、背筋はピシャットしているし、何でも、こなしている」と鼻先で自慢されることがあるが、イヤですね。足跡や、事情は比べられない。
★「そのヒトは、その人」「このヒトは、この人」。能力が違っても、皆さん、懸命に生きておられる。ホームで各人の生活を見ていると、はっきり、そのことが言える。
★この歳になって、老いてきて、残り少なく、振り返れば、これまでの長がーィ、ジンセイで、「神さまの愛を体験したこと、あります」「イエスさまに出会ったこと、あります」「ニンゲンの弱さも、愚かさも、身に沁みて分かります」「苦しみがあっても、神さまの愛に変えることが出来ました」。そう言えるのが、本当でしょう。老いて、もう時間はないのです。しかし、人間は、幾つになっても、悟りは開けず、確信できないのが本音です。
★「忍耐」「気力」「信仰」。この3つ。老いても、完全じゃ、ないが、それは、それで受け入れて、信頼を於いて、置かれた、この場所で、小さく、目立たないように、自分の花を咲かせよう。今日も、一日、無事に過ごす事が出来ました。カンシャします。神さまに、周りの人に、そして職員の皆さんに。

0 件のコメント:

コメントを投稿