2016年8月13日土曜日

聖母被昇天祭日の前に、告白する習慣があります

自室から廊下に出て、ガラス戸越に見た、ある朝の夜明けです。
★土曜日。朝、教会へ。5時40分から、修道者、信徒の共同で、教会の朝の祈りが唱えられる。祈祷本を机に置いて、手も机に置けば楽です。となりの席は、園長の山内神父さま。きちんと手を合わせて唱えている。思わず自分も手を合わせた。
★祈りが終わって、しばらく沈黙。やがて「お告げの祈り」、ミサが始まる。山内神父さまの席に、自著の「ながさきのコルベ神父」が見開きで伏せられていた。「ああ、読んでくれて、いるんだ」と嬉しくなった。コルベ神父の祭日も来る。
★ミサが終わって、信徒の告白があった。10人あまりが並んだ。修道士もその中に加わった。長崎では、聖母被昇天の祭日の前に、告白をする習慣がある。魂を清めて、ふさわしく祭日を迎えるわけだ。昔は、ご馳走である「ふくれ・まんじゅう」を作って、食べて、お祝いをした。原爆で、浦上天主堂が崩壊したとき、堂内では多くの信徒たちの告白が行なわれていた。信徒も、司祭も、亡くなった。
★告白は信仰生活で大切だと痛感しています。修道士になって、弱い人間が、修道の道をつづけられたのも、その秘訣は告白でした。告白によって、また魂はよみがえる。修道士をつづける希望が湧いて、チカラが出てくる。ありがたい秘蹟です。「神のもとに帰れるか」を基本に、糾明しました。

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