2015年12月8日火曜日

無原罪の聖マリアの祭日。平和を願う日。連なる思い出

太平洋戦争の開始の日、13歳で、大学病院の外科病棟に居た。その日、「やったぞ、負けるもんか」と、患者の大人たちが喜んだのを覚えている。いま考えれば、勝てっこ、ない、無謀な戦争の始まりだった。2年かかって、健康を取り戻し、母が最初に連れて行ったのが、聖母の騎士のルルドだった。ルルドのベルナデッタは、出現した美しい女性に、「あなたは、どなたですか?」と問うた。「わたしは、けがれなき宿りです」がお答えであった。ルルドと無原罪の聖母はつながりがある。
★聖母の騎士に入ったのは、17歳。聖コルベは既にポーランドで殉教死をとげていた。聖コルベから直接教えを受けたポーランド人のミロハナ神父は、わたしたちに、何十年にわたって、聖コルベの「けがれなき聖母(無原罪の聖マリア)」への最高の愛と、完全な奉献を説きあかし、「あなたたちも、そういう生き方をしなさい」と、シンから勧め、願った。
★ポーランド語で、「ニエポカラナ」とは、形容詞だが、「無原罪の聖母」の名詞にしたのは聖コルベだと、ミロハナ神父は言った。「ニエポカラノフ」は、「無原罪聖母の園」となる。日本でも最初は、この名称だった。ミロハナ神父によると、とにかく聖コルベの生き方は、「マリア」「マリア」に尽きると言った。
★写真は、湯江カトリック教会の無原罪の聖母マリア像です。聖コルベか、このスタイルのマリア像を好んで、各部屋に安置して、度々、マリア像を眺めては、「ああ、マリア」と口ずさんでいた、とミロハナ神父は語っていた。
★戦争は絶対にすべきではない。誰もが、そう願っている。だが、世界は、沢山の争いや、テロが起こっている。きょうのロザリオは平和を願う祈りとなった。
★隣の修道院から、きょうはお祝いだから、夕食に来ないか、と声がかかった。ありがたい。

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