2015年9月27日日曜日

一杯の水を奪う者は誰か。ニンゲンは恐ろしい

長崎県内には、主な教会が、100近くある。教区では、毎日曜日、どこかの教会で、朝ミサの後、「永久礼拝」が行なわれている。だから、長崎では、毎日曜日、祈りでつながっている。今日の日曜日は、湯江教会の「永久礼拝」の担当に当たっていた。9時のミサの後で、賛美歌と、お祈りが、ホームの人も交えて、行なわれた。
★きょうのミサでは、次の文言が読まれた。「一杯の水を飲ませてくれる者は、必ず、その報いを受ける」。瞬間的に考えたことは、原爆の丘で、「水を・・・」「水を・・・」と求めて死んでいった人たちのことだった。「水を与えられなかった、悔やみ」。生涯、心のキズとして残る。
★午後から、「ビデオの日」といって、食堂で、「カロル」(教皇ヨハネ・パウロ2世)の長編映画が上演された。最初は軽い気持ちで食堂に入ったら、映画は、第二次大戦の始まりから、ポーランド人たちの混乱から、いきなり始まった。「ヴァドビチェ」「クラクフ」など、懐かしい名前も出てくる。青年カロルも戦争に巻き込まれる。「平和の教皇」といわれた、あの教皇さまにも、青年時代には大変な試練に会われていた。おどろきだった。アウシュヴィッツに送られるポーランド人の知識人や文化人たち、そしてユダヤ人たちのすべて。女性の叫び声が画面にひびく。「世界は、なぜ黙っているのか」。今の世の、現代の難民たちがアタマにチラついた。ヴァベル城もナチスに占領されてしまう。また叫び声。「神さまは、居られるのか」。カロル青年は、どうやって、この戦争を切り抜けたのか。そう思うとき、1時間が経過した。続編は、また日をあらためて見せる、という。とにかく戦争は考えも及ばない恐怖、不安、絶望を、しっかりと、この胸によみがえらせた。

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