2015年8月14日金曜日

聖コルベの祭日。身代わりの愛。けがれなき聖母

聖コルベの祭日。聖母被昇天祭の前日に殉教した。ふしぎな御取り計らいであった。ミサで祈る。司祭がミサの始めに次のような意味の言葉を言った。「コルベ神父さまが日本(長崎)に来なかったら、私たちも居なかったでしょう。ホームもなかったでしょう」。確かに、そうだと思う。つながりがある。
★コルベ神父を語るとき、けがれなき聖母マリアを外すことは出来ない。常に、マリア、マリア、マリアを呼吸して生きていた。その話はポーランド人の修道士から本当によく聞かされた。「マリアを通して、イエスへ」。それが目標だった。
★コルベ神父やゼノ修道士や他の修道士たちの生き方を見ると、アシジの聖フランシスコの生き方によく似ていると思う。質素で、純朴で、祈って、許して、愛して、「わが神よ」と叫んで、主に似た者になることを目指した。
★コルベ神父が長崎へ上陸して、1ヶ月で、日本語の雑誌を発刊したのには、おどろきである。誰がそのような行動ができるだろうか。昭和の初め、雑誌、新聞、ラジオに興味をもった。最先端の科学、技術をもって、宣教すると、肺を病みながらも行動した。コルベ神父のことを考えると、なぜか次から次へと話題が湧いてくる。信仰が燃えてくる。人間味が広がってくる。

2 件のコメント:

  1. 元日のエリザベット2015年8月14日 19:41

    今日、東京の関町教会で、聖コルベ神父の生き方を通して平和を考える、山口神父様の講演がありました。
    コルベ神父が、いかにアシジのフランシスコの平和の祈りを実践されたかに、改めて気づかされました。

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  2. マリア・フランチェスカ2015年8月14日 20:47

    朝、コルベ神父様のご絵と汚れなきご聖母様のご像の前に赤と白のお花を捧げました。
    私達もコルベ神父様が長崎に上陸なさらなければ
    小崎さんのブログを読むことはなかったでしょう。
    今日はコルベ神父様を思う一日でした。
    ミサには与れませんでしたが母の為に過ごすことが出来ました。

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