2015年7月30日木曜日

聖堂の光る床。ふしぎにも、こころに力を与える

夕方、共同でロザリオを唱えて、きょうも祈りました。ふしぎなことに聖堂の床に、どこから入ったのか、どの窓を通して、光るのか、きれいな円が出来ているのです。お祈りが終わっても、しばらく眺めていました。
★きょうも、1日、無事、平穏に終わる。この記事を書き始めたのは、4時半頃だったのに、いまは6時を過ぎました。ホームまで電話がかかってきたり、こころの水面が揺らぎます。
★十字架は苦しみの象徴。誰の身にも、苦しみはあるでしょう。苦しみを、いかに受諾するか。それは難しい。きょうは、これしか書けません。あの聖堂の光は、ふしぎだなあ。何かしら、こころにチカラと希望を与えてくれるような気がします。
★5年ほど前、わたしが出会った女性は、こう言った。「十字架なしに救いはなく、犠牲なくして愛は行なえず、つみ重ねの努力なしに生ける喜びはない」。いまでもメモに残しております。

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