2015年7月31日金曜日

夏の踊りだよ。歌だよ。納涼祭は、あしたの夜です

酷暑の夏がやってきました。どこででも町内など、納涼祭が行なわれます。やっぱりホームでも、あるんですね。職員さんたち、元気な人たちも手伝って、芝生のマリア像の前に、のぼりも出来た。看板や、飾りも準備された。ホームの納涼祭は、わたしは初めて参加するので、どうなるのか夢がある。ホームも人生だからね。行なうのは、あしたの夜です。楽しみですね。「岳の新太郎さん」も踊ります。ホームの近所の人たちも参加するそうです。さあ、どんなに展開するのか。職員さんは忙しいのに、がんばっています。★人生に何が必要かというと、味付けだよ。毎日の生活は変わりない。そこに、ちょっと、パラパラっと、味を振りかける。それだけでも元気が、笑いが出てきます。お世話をする人たちは、ご苦労が多いけれどもね。納涼祭には、どんな写真が撮れるか、楽しみだね。

2015年7月30日木曜日

聖堂の光る床。ふしぎにも、こころに力を与える

夕方、共同でロザリオを唱えて、きょうも祈りました。ふしぎなことに聖堂の床に、どこから入ったのか、どの窓を通して、光るのか、きれいな円が出来ているのです。お祈りが終わっても、しばらく眺めていました。
★きょうも、1日、無事、平穏に終わる。この記事を書き始めたのは、4時半頃だったのに、いまは6時を過ぎました。ホームまで電話がかかってきたり、こころの水面が揺らぎます。
★十字架は苦しみの象徴。誰の身にも、苦しみはあるでしょう。苦しみを、いかに受諾するか。それは難しい。きょうは、これしか書けません。あの聖堂の光は、ふしぎだなあ。何かしら、こころにチカラと希望を与えてくれるような気がします。
★5年ほど前、わたしが出会った女性は、こう言った。「十字架なしに救いはなく、犠牲なくして愛は行なえず、つみ重ねの努力なしに生ける喜びはない」。いまでもメモに残しております。

2015年7月29日水曜日

長崎市まで、病院へ行くのも大変な時間がかかる

長崎市へ出かけるのも大変です。朝から気を引きしめ、朝食の前の時間に、食事もせずに、高原修道士さんの運転で、車を飛ばした。コンビニに寄って、おにぎり1個、お茶を買った。車内で食べた。写真は長崎市内の、クリニックがある通りです。医院に着いたのは、9時過ぎだったが、11番の札をもらった。
★10年来、診察でお世話になっている先生。「足のムクミも良くなっているね」。夜は、無呼吸のマスクをつけて眠っているが、データーは調子がよい。数値を手帳に記入してくれた。ホームに帰ってきたのは、11時半だった。
★からだの調子はどうなのか。何を考えているのか。人生をどう思っているのか。いろいろあるでしょう。本当に書きたいことは、それでしょう。でも、思ったようには書けないものですね。信仰のこと、忘れないようにしよう、課題はある。大それたことではなく、小さな祈りのなかで生きたい。

2015年7月28日火曜日

人は覚えなくても、見ている御方がいらっしゃる

自室の前は廊下になっている。朝夕、2回、ラジオ体操がある。まじめに身体を動かしている。手を振りながら、ふと前を見ると、大きなトンボが壁にしがみついていた。動かない。どこから飛んできたのだろう。どこから迷いこんで来たのだろう。
★ある人が言った。「尽くしても、尽くしても、人は覚えていない。神さまだけが、覚えていてくださる」。人は覚えなくても、見ている御方がいらっしゃる。
★暑中お見舞いのハガキが1枚届いた。「先日『長崎のコルベ神父』を聖母の騎士社に注文して、読んでいるところです。朝、聖書を読んでから、少しづつですが、今年の夏は読書します。2003年の夏、聖コルベ記念館で、小崎さんが、座らせて下さった、あおの机と、椅子を思い出します。お元気で」。2003年といえば、12年前のことになる。長い年代が経つのに、覚えてくださって、ハガキを寄せてくださり、慰めを感じました。
★昨日の日記のコメントに、「小崎さんが居るところ、コルベ館」とあった。うれしい。

2015年7月27日月曜日

食べて、ゲンキで、夏の暑さを、乗り越えよう

きょうの昼ご飯です。海苔巻きオニギリ(梅干入り)、冷やし中華(メンは隠れている)、タマゴ・スープ、オレンジ・ジュウス、でした。食べるのが楽しみです。食べないと、チカラが出ない。元気な老人をみると、こまめに動いていますね。そして、よく食べる。(この写真を撮るのに、苦労しました。おかしいじゃ、ないですか。1人、上からデジカメを向けて、シャッターを押すなんて。でも初めて、やるぞと、撮りました)
★ダイソレタことは、考えない。こころのなかの小さな祈り。自分と向き合い、なさい。こころにも、霊的・食べ物が必要ではないだろうか。
★振り返れば、1日は、あっという間に、過ぎ去った。

2015年7月26日日曜日

コメントについて書きました。ありがたい小包

日曜日。今朝、ミサで祈った祭壇のお花です。今も、ロザリオを唱えて来ました。毎週、活けてくださる女性が居ります。見るのも楽しみにしております。
★昨日は、コメントが2つ入っていた。洽子(KoKo)さんと、長崎の原爆の話を聞きにこられた東京のおヒゲの男性、「はやせ」さんからの文があった。洽子さんは、「ナヨさんのメダイ」を騎士誌で拝見したという。ああ、そうだった、先日、諫早大水害の日(昭和32年7月25日・600人が亡くなった)があった。「ナヨさん」とは、あの時の水害で激流に流されて、翌日、海上で、命が助かった女性の話だった。ナヨさんは助かったとき、マリアのメダイをかけていた。その話を思い出させてくれた。
★もう1つのコメントは、原爆の話を聞きにきた「はやせ」さんから届いた小包は、小さな箱のお菓子でした。「わが家から電車で15分。日向和田には吉川英治が戦中戦後を過ごした家が記念館として残されています。その近くで、吉川英治夫人が開いた和菓子店「紅梅苑」が今でも営業しています。地元の人びとにも愛されているお菓子「柚篭」(ゆずかご)を送ります」。ありがとうございました。

2015年7月25日土曜日

東京の子どもたちにも原爆の話、平和を語りたい

7月の初めだった。アメリカ・テキサス在住の洽子(こうこ)さんが、2人のお客さんを連れて来た。男性は、立派な鼻ひげが印象的だった。自分は、東京で、子どもたちに原爆の話をしている。小崎さんの原爆体験を聞きたい、と熱心に話しかけ、わたしの話に聞き入ってくださった。
★まもなく、原爆70周年の日が近づいてくる。原爆といっても、東京の人たちは、また戦後生まれの人たちは、殆ど内容を知らないだろう。東京から、わざわざ訪ねてくる男性が居るのが、心を打たれた。男性の情熱を感じた。
★原爆の恐ろしさは、1発の爆弾で、すべてが壊滅、破壊されたことだ。爆風、高熱、放射能。この3つ。語れば長くなる。8月9日の当日の出来事。18日間、原子野で生活した体験。語るためにもエネルギーがいる。男性は喜んで耳をかたむけ、心に刻み、お礼をいって帰られた。
★東京から、小包が届いて、感謝の手紙が入っていた。「先日は、被爆の体験談をお話していただき、有り難うございました。一昨日も東京の小学校で長崎原爆の話をしましたが、早速トマさんからお聞きした話も織り交ぜて、子どもたちに語らせていただきました。今後も「被爆体験伝承者」として、ここ東京で「平和と命の大切さ」を伝え続けたいと思っております」

2015年7月24日金曜日

ホームでも食べた、ウナギで元気。土用・丑の日だよ

いま夕食が終わって、自室に戻ってきた。きょうは「土用の丑の日」だった。日中のテレビでも、うなぎ屋に、ノレンが揺れていて、多くの行列が出来ている。そういう場面が映し出されていた。世間じゃ、黙っては、いるまい。「ウナギでも食べようか。ゲンキを出そう。この暑さじゃ、たまらんモンな」と、人びとの楽しむ姿が目に入る。
★ところで、夕食をつげる知らせがなった。食堂に入る。先ず、ご飯を自分の好みで、自由に、多く、少なく、つぐのです。食卓におかずは準備してある。席に付くや、出たッ。「やあ、ウナギだよ。ホームにも、ちゃんと準備されていた。各人にあった」。栄養師さんがメニューを、考えていたんですね。1皿分、リッパなウナギが置かれていて、にんまり、喜んだ。これだけの人数を、ウナギを揃えるのも大変でしょう。それでも「土用の丑の日」は忘れていない。食堂へ入るときは、こっちが忘れていた。温かい気持ちが伝わってくる。ウナギを食べて、健康で、長生きしてね。デジカメを持っていなかったので、写真を撮れないのが残念でした。とにかく評判のいい夕食でした。
★今晩のメニュー。ご飯。ウナギの蒲焼。タレがよかった。冬瓜の干しエビの炒め煮。すのもの。シジミ汁。それに、デザートはメロンでした。こうして1日は終わる。

2015年7月23日木曜日

自由ほんぽうに生きる。夢があり、幸せもある

元日のエリザベットさん、母と、その娘さんが見舞いに来られて、久しぶりの出会いになった。2013年、14年、15年と、3年近くなるが、この娘さんにどんな変化があっただろうか。狭い自室で、話はそのことばかりだった。目が大きい、くりっとした、活発な娘さんに付いて行けない。英語と、タイ語が得意で、タイから移って、いまではミヤンマーに家があるという。21歳で、夢は広がる。いまは日本でしばらく暮らす。普通でない話の連続だったが、ゲンキを貰ったことは確かだった。
★21歳。何をしていただろうか。戦後のことで物資は少なく、食べるのが必死の日本だった。誰もが夢のない貧しい日本を暮らしていた。時代の違いを痛感した。87歳になった今、どんな夢があるのだろうか。土俵の後ろに、どれほどのスぺースがあるのか、そんなことも考えた。若者の可能性がほんとうに、うらやましかった。
★湯江教会の、聖コルベのご像の前で写真を撮って別れた。2人はこの夜は、ホームから更に山へ登った「いこいの村」に泊まるという。母がいった。「明日の朝ミサに来ますからね」。翌日は大雨だったが、ミサに来ていた。★2013年、騎士誌にこの母と娘を載せたことがあったが、母は、1通の手紙をくれた。「娘のことで苦しみ、嘆き悲しみ、自分の力で乗り越えようとしたが、道は開けなかった。そのとき、自分がカトリック信者であることを思い出した。神さまのご計画には、意味があり、必ず良い方へ導いてくださる。それを信じて、待てばいい。それまでは夢物語のように聞いていたお話が、現実に自分の身に起こったことを感じた。そのときから悩みはお恵みに変わりました」。母と娘さんが帰ったあと、「そうだ」と感じた。

2015年7月22日水曜日

ゲンキをくれた娘さんと母がやってきた。マイッタヨ

母と娘が面会に来た。縁とはフシギなモンですね。聖コルベ館に居た頃、2012年の元日だった。その日は誰も来ず、もう閉館しようかと準備していると、この母と娘さんがやってきた。しばらくの時間、会話をかわした。私が「7歳で父親は病死、17歳で、母親が原爆死」というと、娘が「私も17歳。高校へ行かないで働いている」。それを聞いて、(何やら、この家族には、わけがありそうだ、と思った)。母親に、「昨年を、1字の漢字でまとめたら、なに?」と聞くと、「悟りです」と答えた。(ああ、やっぱり何か有るぞ)。それから知り合いになって、日記にも時々、コメントを寄せてくれるようになった。母親を「元日のエリザベット」と覚えた。
★次の年、2013年の正月だった。何と、この年の最初の入館者は、この娘さんだった。(そういう出会いが面白いんです)。このときは娘さん1人でやってきた。だから1対1で話を聞いた。18歳というのに、ちょっと付いて行けない、とても、ここには細かく書けない体験がそこに沢山あった。娘さんはいう。「10月に、タイへ1人旅をした。タイの人たちの目をみて、すごく感動した。日本は物資に満ち足りているが、心は貧しい。タイの人たちは物資は貧しいが、心が純粋で、清らかで、豊かさを感じた。タイの子どもたちと居ると、楽しい」。目を輝かせて夢を語っていた。その母と娘さんから電話があって、ぜひお会いしたい。そして見舞いだけのために、ホームへやってきた。

2015年7月21日火曜日

目と目が合ったのが、なにかの縁。ハナちゃん幸せ

ホームの片隅に、うろ、うろしていた小ネコ。誰が置いたのか。わからない。ニャ、ニャと、小さく泣く。目と目が合ったのが、なにかの縁なんですね。「かわいそうだよ」と、職員さんが取り上げ、自宅へ持ち帰った。ホームでは育てられない。自宅に、もう1ピキ、男のネコが居るそうだが、いっしょに育てている。おかげで幸せになったよ。幸せになるか、ならぬか、紙一重だね。名前は「ハナちゃん」。何度か、ホームにも姿を見せて、皆さんから、かわいがられている。
★そういえば、長崎にも、ライモンドというネコ君がいたな。あのネコもブログに載せたり、紹介していたが、いつぞや行方不明になった。ライモンドはどうしているだろうか。

2015年7月20日月曜日

何事も無く、1日が終わった。これもお恵みですね

小さな教会です。いま、数人でロザリオを唱えて、自室にもどって来ました。車椅子の90代女性もいる。園長神父さんも毎日、このロザリオに参加して祈り、終わると車椅子をご自分で押して、ホームの方へ連れて行くのです。扉を大きく開けて加勢するのが、せい一杯の慣わしです。園長さんは言います。「ロザリオを唱えなさい。お祈りをしなさい」。そして実行している。祈りがあるホームはきっと、いい施設でしょう。きょうも何事もなく夕暮れになりました。★ホームのなかでも、職員さんの結婚式があったり、誕生会の出し物の写真を載せたりしているので、日記が、ちょっとした話題になってきた。こまった一面も、「田川幸一を検索しても出てこない。どうすれば、いいの?」という声もあった。「小崎登明を検索してください」。名前が2つあるので、ややこしいですよね。事務所にも電話があった。「トマさんを呼んでください」「登明さんを呼んでください」。長い間、田川を使うのを忘れていた。ホームに来て、もう9ヶ月になる。だんだん小崎は遠ざかり、田川が身についてきているようです。

2015年7月19日日曜日

むかしのホームの思い出。いま自分が体験している

日曜日。今朝の祭壇のお花です。ミサで、祈りました。「神さまは居るか?」と聞くんですか。17歳のときです。原爆で、人も、家も、燃えた。残ったのは、わたしの、いのちと、神さまだったんですよ。神さまって言うのは、ね。わたしにとって母から受けた存在なんですよ。この地球に、人と生まれたからには、幸せに暮らしたい。誰の願いも同じです。★その後、結核を病んでいた頃、山の修道院で療養していた。山道を少し登ると、同じ敷地内に、木造の簡素な建物があった。1つは開拓の家族で、もう1つが老人のホーム(当時は養老院といった)だった。戦後の混乱のなかで、家族が居ない男子の老人たちが暮らしていた。10人ほど、個室で生活していた。今のような行政の枠組みがあるわけでなく、外国人の宣教師に寄りすがって、お情けで生活をさせてもらっていた。25歳のわたしは、散歩の途中で、彼らを訪ねて、1人、1人、話を聞いた。ある老人は、終日、座ったまま、タバコをたしなんだ。キザミ・タバコが切れると、キセルで、りずみかるに床を叩いて、「エス・オー・エス」とつぶやくのだった。面倒をみるシスターが姿をあらわす。すると彼は・・・・・・と言って、タバコ・ぼんを叩くのだった。あれから、60数年が経っている。彼の・・・・は何だったのか。思い出せない。今は、目線が違い、自分もホームの人間になった。もちろん、タバコは個室では、禁煙。暮らしも楽になった。

2015年7月18日土曜日

小さな虫にも、いのちがある。辛抱づよいバカになれ

廊下を散歩します。2階の窓辺に、しっかりと、しがみついている「虫」を見つけた。「何の虫だろう」。わからない。「キリギリス」と誰かが言った。窓を叩いても、飛んでいかない。「暑いので、ここで避けているのかな」。思いますよ。となりの窓をあけて、新聞紙をまるめて、追い払おうとすると、飛ばずに、上の方に場所をかえて登っていく。★いのち、あるものが、いとおしく、なりますよ。暑いのに、毎年のことですが、ホームの皆さんも懸命に生きています。わたしも、その1人です。「一番、苦しんだ人が、人の苦しみも、わかる。苦しまない人は、人助けもできない。わからない」。そう言ったホームの人がいた。「辛抱づよいバカになれ」

2015年7月17日金曜日

沖縄からマンゴー。毎年、この時期に送ってくださる

沖縄から、マンゴーの宅急便が届いた。毎年、贈ってくださる方で、その温かい気持ちが嬉しい。長崎では、珍しい果物です。隣の修道院の人たちと、いただきました。ありがとう。★顔が少し、ほっそり成った、といわれています。いまのところ、からだの調子は良いようです。★マンゴーとは別ですが、受け取った手紙に、いい言葉があった。「『聖コルベは愛と、いのちの光』。マリアさまが教えてくださった光を目標にして、みこころに、かなう者となれるように、努力していきたいと思います」。こころに刻みました。

2015年7月16日木曜日

よろこばせようと、岳の新太郎さんも踊ります、ハイ

午後、自室に居ると、何やら、アナウンスがなった。「なんだろう?」と食堂をのぞいてみると、職員さんたちが、踊りの練習をしていた。「何ですか?」「盆踊りの練習です」。楽しそうに踊っていた。納涼祭は8月に入ってから、おこなわれる。「曲は何ですか?」「岳の新太郎さん、です」「ああ、知っている。その話は聞いたことがある」。職員の皆さんは、軽快に踊っていた。「入りませんか?」「イヤ、ね」。若い人たちだから活力がある。★岳の新太郎さんは、この辺の伝説だ。ホームの背後につらなる山に、1.000mほどの多良岳(たら・だけ)がある。登った事も、2、3度ある山だ。山頂近くに、金泉寺というお寺があって、ここにも行ったこともある。むかし、このお寺に、イケメンの新太郎という僧がいた。里の娘たちにとって、評判の美青年だった。しかし山は女人禁制なので、娘たちは近づくことができない。新太郎は、時折、お寺の使いで、里に降りてくることがあった。さあ、娘たちは・・・。歌の文句もあるが、わからない。

2015年7月15日水曜日

夏の暑さに負けず,ゲンキを出そう。まだ歩ける

ついでに、絵てがみで描いた、もう1枚の絵を載せました。夏の暑さに負けず、元気を出そう、そう思います。★きょうの新聞を見ると、原爆後、被爆者を治療した6.000人の記録が公開された、と出ていました。中心になったお医者さんが、長崎医科大学の「調来助博士」だったと書かれていた。調先生は子どもの頃だったが、よく覚えている。13歳で、大学病院に入院していたとき、外科の教授でした。病名は、脊椎カリエス。この病気になると、ギブツという石膏の型にはまって、ただ寝ているだけで、治療が無かった。調先生は、初めての治療法を考えた。右足のスネを骨をけずって、箸の大きさに取り出して、それを背中、背骨を割って、植え込むのです。すると背骨が固定するので、炎症が治まるのです。その手術は大変でしたが、調先生のおかげで、元気になりました。ギブツはいらなくなった。なつかしい調先生の名前は生涯忘れない。「調来助博士(1899-1989)」と新聞には載っていた。

2015年7月14日火曜日

絵てがみ。恥ずかしいけど、見せます。こんなモンです

「作品を楽しみにしています」と、昨日の記事に、コメントがあった。人に見せる程でもないけれど、少しは絵心があるでしょう。ヘタは、ヘタなりに、人生を生きればいい。好きなことを楽しんで、日々を過ごせばいい。
★NHKから電話があった。原爆の日が近づいている。15年前に収録した番組が出てきた。小崎さんも出ている。放送の許可をもらいたい。番組名も言われたが、「覚えておりませんね」。少しだけ、名前だけでるんでしょう。「いいではないですか」「決まりましたら、また教えますから」「がんばってください」★雨が降りつづいて、屋外には出られない。園内を散歩しております。きょうの昼食の一皿に、野菜に乗った、「さら・うどん(パリパリメン)」に、まわりを小粒のクリームチーズが幾つか取り囲んでいた。プチ・トマト1個(2つに割る)のが出た。食堂を出るとき、メニュー表に、「長崎サラダ」と記されていた。「え?初めて聞く名前だ。ああ、そんな料理もあるんだな」

2015年7月13日月曜日

描く楽しみ。子どもの頃の記憶はよみがえる。幸せ

午前中、「絵てがみ」の先生が来られて、絵を描く機会がありました。参加者は、4、5人居りました。この日を楽しみにしている。さあ、何を描こうかな。自室にある「オニ。ゆり」を持って行った。イメージとしては、田んぼのクリによく咲いていた「オニ・ゆり」です。子どもの頃を思い出します。でも、あんまり近づかなかった花だよな。そんな花でも、いまは「飾れば、心もなごむ」と一筆いれた。先生が、キュウイと、プチ・トマトを画材に準備されていた。それも描きました。描くことは楽しみです。きょうの一日も無事に終わりました。あと夕食があります。お年寄りには、食べるのも楽しみです。「食べる人は長生きする」。そんな声も聞こえます。「体調は、どうですか?」「まあ、まあ、ごらんの通りです」

2015年7月12日日曜日

きのう、うれしかったこと、ある?よかったこと、ある?

今朝の日曜日。祭壇に飾られていたお花です。ミサのとき、この祭壇で祈りました。お花も目に入りました。こころを込めて飾られたお花です。夕方、また教会へ行き、共同でロザリオを唱えるときにも、この祭壇のお花を見ました。「よし、これを写真に撮ろう」。自室にもどって、カメラを取って写しました。目に見えないところでも、見ていてくださる御方がおられる。慰めになる。★毎日を変わりのない生活をつづけています。「うれしかった、こと、ある?よかったこと、ある?」。夕食のとき、隣の男性は、車椅子の人です。いつも声を掛け合っている。「きのう、誕生日でしたよね?」と声をかけると、うれしそうに「ハイ」と頷きました。「何歳になったのですか?」と好奇心から聞くと、笑って答えない。へえ。やっぱり、ね。簡単には・・・。でも言った。「80です」「ああ、それなら昭和10年生まれですね。戦後、70年だから」。その辺の計算は直感で出来る。きのうは、この人にとって、うれしかったでしょう。「おやすみなさい」。ほほえみながら、車椅子をまわして、去って行かれた。ちなみに、今夜のメニューは、ご飯に、ひらアジの煮付け。酢の物、冷やっこ・ねぎソース、冬瓜のスープ、バナナ1本、でした。思いますよ。嬉しかったこと、ある?よかったこと、ある?生きているのが喜びです。毎日、変わらなくても、ね。★5月頃から、毎度、黒いベンがつづくのです。おかしいなあ。悩みましたよ。医務室に行って、看護師さんに聞くと、「お薬手帳」を見て、飲んでいるクスリの関係とわかった。はっきり書いてある。「ベンが黒くなります」。悩みが1つ解けて、安心しました。最近、届いた手紙の一節です。「体の不具合を幾つも抱えて生きるご苦労は、察するに余りありましょう。それでも『今日』という日は二度と来ないのだから、幻滅することなく日々を生き抜いていただきたい。憚りながら、そう願っています」

2015年7月11日土曜日

長崎まで車で1時間。往復すると、やはり疲れる

朝食も取らずに、高原修道士の車で、長崎へ出かけた。市内に入ると、浦上天主堂の下の道路を通る。クリニックで診察を受けた。あと1ヶ月で、原爆70周年を迎える。新聞にも関係の記事が目につくようになった。70年といえば、本当に長い。直接・被爆者の平均年齢も、80歳を越えた、とあった。当時のことを思う。永井博士の如己堂あたりから、夜、真っ暗な闇のなかで、炎々と燃える崩壊した天主堂を眺めて、毎夜、毎夜、泣いた事が忘れられない。終戦のとき、誰もが「戦争は、もう絶対にイヤだ」と心から思った。70年、あの思いは未だに消えない。★昼食どきに、ホームへ帰った。すぐ食堂へ急いだ。皆さん、食事の真っ最中であった。ホームへ帰ると、なぜか、ホットする。「きょうの洗濯物は出しましたか」と職員さんが戸をひらいて声をかけてくれた。「ハイ、お願いしてから出かけました」。洗濯物は、きれいに小さな籠に収まって、渡してくださった。平和な1日が、きょうも暮れる。

2015年7月10日金曜日

『ジンクーエン』は、「ありがとう」。忘れないように

3人の女性の来客があった。思いもかけず、突然、訪ねてきたので、びっくりしました。そして「よく来られましたね」と嬉しさ一杯になりました。この女性たちは、10年まえ、チェコ・ポーランド巡礼旅行を企画したときに、参加してくださった方々です。ホームに入ったことを聞いて、心配して、忘れずに、わざわざ長崎から訪ねてきた。10年まえですから、77歳で、まだ20数人の参加者のお世話をする元気があった。「ありがとう。うれしかったよ。お揃いで、忘れずに来て下さった」★昨日は、ある女性からきたお手紙を紹介しましたが、お手紙の最後に次の1文があった。「『十七歳の夏』で、『ありがとう』と言っていますか」と書かれた、あの1節がわたしはとても好きです。小崎さんに心から申し上げます。『ジンクーエン』」。ポーランド語で、ありがとう。★ポーランドへ一緒に旅行した女性たちがやってきた。『ジンクーエン』を忘れていた。ジンクーエンは、きれいな発音の言葉です。心の中で、思い出し、思い出し、周りの人に感謝『ジンクーエン』を繰返すようにしよう。

2015年7月9日木曜日

コルベ神父さまに出会ったと感動した長崎です

夕食どきに、1通の手紙を渡された。知らない女性からで、「初めて手紙を出させていただきます」とあった。夕ぐれどき、自室で内容を読んで、こんなに感動したのは久しぶりだった。手紙には、「一昨年、初めて長崎へ行きました。今思えば、マリアさまのお導きだったと強く感じます。聖コルベ記念館で、少しの時間ですが、お目にかかり、ブログに載せていただいて、とても嬉しく感激しました。記念館で購入した小崎さんの本で、初めて生きておられたコルベ神父さまを知りました。コルベ神父さまに出会ったと思いました。ご苦労を共にされた聖母の騎士の方々や、関わられた方々の決して褪せることのない記憶や、小崎さんが丹念に調べ、現地へ幾度も足を運ばれて、伝えて下さった真実が胸に迫り、コルベ神父さまの息遣いを感じるほどでした。電車の中で読んでいた時、となりの方から「その本はなんという本ですか」と聞かれ、お見せすると「書店には、ないですね。カトリック教会に行ってみよう・・・」と言われたこともありました。小崎さんが外海へ行くのもいいですよ、と言われ、今年、3月末に再び長崎へ。コルベ神父さまの部屋に入り、神さまとマリアさまに感謝しましてくださって、胸にこみ上げる熱さを感じた。これほど嬉しかった手紙があったろうか。聖コルベ館で、トた。外海・出津へ。温かくお恵みの多い旅でした。先日のブログで、お父さまがのご出身とあり、青い海と、風景の美しさを思い出しています」★そこまで書いて下さった。トマさんに会いました。本も読んで感動した。ホームに入って、不具合だという。心配しています。ブログも読んでいます。わざわざ今、お手紙を下さったからには、そこに何か忘れない今も感じるものがあったのでしょう。人の一生はつづいている。その折々に出会いがあって、火花のように一瞬、光るものがあった。体験した。つながりが出来た。出会いがあって、つながって、生きる恵みになる。

2015年7月8日水曜日

1つの言葉でも元気が出るさ。智恵を求めたい

夕食が終わって、手と顔を洗い、パソコンに向かいました。遅くなった。でも、窓の外からは、すぐ近くの小学校から、子どもの声が聞こえてくる。きょうは夕方のロザリオを祈って、自室に、明子さんが来た。持って来てくれた野花です。やっぱり、いいですね。明子さんとは、1時間ほど話をした。明子さんは、毎朝のミサに出て、教会の祈りを唱えるように努力している。ミサが終わるのが、6時半過ぎ。帰りしなに、必ず、小学校の、3・4年ぐらいの男の子に会うそうだ。「こんなに早くから・・・」。最初は、笑顔で、手を振るだけだったが、最近は、言葉も返すようになった、という。あの男の子は、ひょっとしたら、毎朝、おばさんに会うのを楽しみにしているかも知れない。「きょうも、べんきょう、がんばるんだよ」。出会いが楽しみだ。人には、いろんな事情があるだろう。1つの言葉が元気を与えれば幸せだ。苦しみを、苦しみと思わない智恵を求めたい。

2015年7月7日火曜日

七夕は雨模様。地元の女子中学生が奉仕に

 タナバタ作り。地元の女子中学生も参加して、2本作られた。玄関と、2階の廊下に。実際に作るのを見ると、忘れていた子どもの頃の思い出が懐かしい。「願い事のカードは出来るだけ下の方につけなさい。上だと読みにくいから」。願い事が叶えられると、いいね。★七夕に書いているわけではないが、ここで、ある雑誌に、ある司祭が語った短い言葉のメモを見つけた。心に貼っておこう。「私たちが見ているのは、神さまです。神さまの働きに、気づくことがありますか。気づくと祈りが深まります」。本当に気づくことがあるだろうか。短い言葉だが、ちからがある。いまから共同でロザリオを唱えに、教会へ行きます。

2015年7月6日月曜日

「歩きなさい」とお医者さん。明日は、タナバタ。願いは

毎朝、5時半には出かける教会の祭壇です。教会の祈り、ミサで祈ります。朝食もせずに、長崎へ。クリニックの診察を受けてきました。昼ごはん前に帰りました。お医者さんは「歩きなさい」と勧めます。今は、からだのことは、こまかく触れたくありません。★明日が「たなばた」なので、数人の希望者が、笹竹に、飾りを準備している。短冊に、なにかを書いてください、と皆さんにお願いがあった。2枚、書いた。「貧しい国の子どもたちに、豊かな食料を」「介護に対する労働のきびしさが見直されて、働く人の給与がアップしますように」。職員さん、ヘルパーさん、いつもお世話して下さってありがとう。これからも、よろしく頼みます。「歩いて、歩いて、健康を」と書くのを忘れてしまった。

2015年7月5日日曜日

「写真、いいですか」「ハイ」応じてくれた修道士さん

3日ほど前に、自室に来てくれた東京の松尾修道士さんです。3年前までは、このホームに働いていた。(聞き間違いでなければ)「10年勤めた」といった。介護はベテランです。気さくで、ユーモアがあり、英語も話す。人気があります。園内を彼が通ると、「まあ、なつかしい、お元気、また戻っておいでよ」と、声がかかる。手に手をとる姿もある。長崎で会議がある際は、帰りに必ず寄ってくれる。「今度も、会議があった。今夜、帰ります。いつも日記を読んでいますよ」と慰めてくれる。「そうですよ。日記も沢山の人が読んでくれて、感謝しています」。(4日の土曜日には、233人が見てくれている)。「ボクも、その1人かな」と彼。「写真、撮っても、いいですか」。頼むと素直に応じてくれた。(日記に載せられるとは、観念しているでしょう)。松尾さんが、持上げてくれる。「トマさんがホームに居るので、皆さんの力になっている。自分は10年、ホームに勤めたから、それが、よく分かるんです。頼りにしている」。そう言われて、そんな、そんな、大それた、お世話になってばかりで、何のお役に立っていません、が自分の心情です。出来るだけ、体操、グランド・ゴルフ、書道、コーラスなど、参加しているが、6月半ば頃から、手足がはれて、動きがとれなくなっているのが残念です。★昨日の誕生会についてのコメント、楽しみにしてくれて、ありがとう。うれしいです。

2015年7月4日土曜日

誕生会。歳を重ねる、神さまの恵み、かんしゃ喜び

毎月、楽しみにしているのが、誕生会です。その月に生まれた人をまとめてお祝いします。お元気で長生きしてね。それが願いです。お年寄りは食べることが楽しみです。おご馳走もある。ホームの職員さんは、忙しいのに、皆さんを喜ばせようと、ちょっとした出し物もでてくる。「今月は、なんですか?」。そっと聞いてみた。「サザエさんです」「え?なんで、サザエさん?」「ウン、ちょっと、ヒントがあってね」「写真、1枚撮らせてください」「ハーイ、ポーズ」が、左のスナップ。車椅子の人も、ベッドの人も、全員が、この日は集まって、誕生を祝う、1人、1人、名前が呼ばれて、「ハピ・バスデイ」と歌、拍手と共に、花束がおくられる。食事の後は、希望者の歌も出ます。気分は盛り上ります。なごやかで、たのしみです。お年寄りたちは、元気ですね。それぞれに神さまのお恵みを戴いている。サザエさんのお踊りをみて、皆さんで喜んで、自分にもゲンキがでました。それが何よりでした。負けては、おれません。★誕生会・昼食のメニューは、赤飯、アジのお刺身、焼き肉、生春巻き,冬瓜と鶏肉の煮物、ジュース、酒まんじゅう、でした。

2015年7月3日金曜日

お客さんが来て、原爆を語りました

いつぞや1度訪問された洽子(こうこ)さんが、東京からのお客さんをつれて、おいでになった。洽子さんは、長崎の出身で、結婚されてアメリカ・テキサスに在住しておられる。お話の中心は、原爆の体験のことだった。わざわざ訪問されて、話を聞いてくれて、ありがとう。★お迎えした自分は、ごらんの通りです。

2015年7月2日木曜日

元気を出しなさい。はげましてくれる

足が、むくみ、指も、むくんでいる。それでも「歩きなさい」と言われるが、ムクミがあるので、歩きにくい。転倒しても、困る。朝から、教会へ。食堂へ。園内を歩くと、携帯で、1136歩と出た。東京の松尾修道士さんが、自室に見えた。「会議が終わった後で、立ち寄った」。また従姉の家族も訪問してくれた。「なんとか、もう1度、立ち上がりたい」。その思いが湧いてくる。

2015年7月1日水曜日

長崎の病院で、診察をうける

からだは、どうなって、いるのでしょうか。長崎へ出て、診察をうける。高原修道士さんが運転と付き添え。自分の不具合には、いまこそ忍耐が必要です。