2015年5月4日月曜日

「生かされて、今日も祈る」。それしか、ありません

「生かされて、今日も祈る」。この歳になって、毎日が、そうでしょう。痛みもあります。不安もあります。生きているのは、苦しみでもあります。でも、生きている、生かされている、まだ動ける。呼吸もできる。いいことも、あります。ありがたい。祈りながら、日々、野山を吹いている風にのって、いっしょに生きましょう。ホームの下の方には、小川の流れもあります。上流には轟の瀧といって、清い水の源泉になっている。その川の流れに混じって、いっしょに漂いましょう。★きのうは、携帯を失って、あわてた。部屋に、ない。どこに忘れたのか。廊下を通る職員さんに「携帯、ない」と伝えると、すばやく事務室の職員さんが心配そうに、部屋まできた。携帯がなくなると、大変です。パソコンも、携帯の番号から器具を得て、発信している。「教会かな?」。さほど時間が経たないうちに、廊下の向こうから、別の職員さんが、「ありました、教会の席にあった」「ああ、よかった」。ロザリオの後の小さな事件でした。

2 件のコメント:

  1. 私も持病があり、毎日闘っておりますので、小崎さんのお気持ち共感させられます。みむねのままに、、、携帯見つかってよかったですね。

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  2. 「生かされて 今日も祈る」
    生きていること、祈ることができること、お恵みですね。
    障害を持っている私は、このお言葉をかみしめております。  携帯よかったです。落としやすいので、私は携帯ポケットバッグをかけることを勧められました。

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