2014年12月12日金曜日

マリアさまのメダイがわが身を守った話を聞かされた


右の写真は、コルベ神父が、ポーランドへ帰国するときに撮った記念写真です。前列、右側の端に、ミロハナ神父もいます。コルベ神父が帰国後、聖母の騎士を守るために、万全の働きをした。左は、戦争中、ポーランド大使館の国旗を預かったローマン修道士さん。めずらしい写真があったので、載せました。★3度の食事のとき、皆さんが集まって、顔を合わせる。隣の女性から、こんな話を聞かされた。ミロハナ神父さんを知っている。自分の主人が兵隊へ行くときに、ミロハナ神父さんから、マリア様のメダイをもらった。南方へ行くときに、船が沈没して多くの戦死者がでた。主人はメダイをにぎりしめて、泳ぎきって、なんとか救助された。メダイはボロボロになっていたが、大切に持って帰った。メダイのお恵みでした。ミロハナ神父に感謝しました。ルルドの聖母マリアに感謝しました。そんな話を聞かされて感激しました。ほとんど、身の上話をすることは、ないのですが、この話は心に残りました。いま、どの女性だったか、わかりません。ポーランドの修道者たちは、働く姿と、熱心な信仰を残しました。ポーランド国を誇りに生きていた。パパさまも、出たんだから。ポーランドで育てられたようなものです。旗が、赤、白。日本の色ですよ。なじみがあるんですね。★kokoさん、真珠湾のときのこと、苦労されたでしょう。★純平くん、聖コルベ館に訪ねてきたとき、「身代わりの愛」を読んできた。写真にその本を偶然にも載せていたので、これも御計らいか、とびっくりしました。

4 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2014年12月12日 21:12

    ポーランドの国旗初めて見ました。
    赤と白なのですね~日本にご縁があるのですね~
    コルベ神父様の赤い玉と白い玉のことも思いました。
    ミロハナ神父様、ローマン修道士様始めポーランドの修道者の皆様のお働きに感謝致します。
    ポーランドからパパ様がお出になるとは
    戦争中は何方も思われなかったことでしよう。
    おメダイのお話に感銘を受けました。
    これからもルルドのご聖母様に
    お取次ぎ願ってまいります。

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  2. トマ様、 今日の日記 と お写真、 登明通信 2014/6 ー あの人から愛の風が吹く を 重ねて 拝見しました。胸に ジーンときました。ローマン修道士はワカメの味噌汁を並々と注いでいた。何やら いつもお腹がトボトボと音がした。この時 ローマンさんは 29歳、兄貴のような存在を感じていた。読者の皆様、どうぞ お読みになってくださいませ。コルベ神父様、聖母の騎士、修道士様達、国旗のお話 そして トマ様の ご体験、 パパ様の ポーランドご訪問、一つの流れからの 歴史が 書かれたいます。

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    1. トマ様、 ご質問が あります。ローマン修道士様は このお写真の時 何歳だったのでしょうか? 20歳?

      昨日、カナダの友人の お話を書きました。コルベ神父様が 帰国され、 又 何人かの方々も 帰国され、戦争中、 戦後を 日本で 生き、その後 孤児達の お世話をされています。 その時の お写真を 見ました。 カナダでも ある会合の時 展示されています。 今日拝見しているお写真の中に その方々が いらっしゃると思うと 新たに感謝しないといけませんね。皆様 お若いのに 驚きです。 味噌汁を どんなお気持ちで 吸われたのでしょうね

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    2. トマ様 ありがとうございます。ちょと躊躇しましたけど 3つの体験話を書かせていただきます。 遠藤周作氏のご本を読んでいましたが ある方から人体実験のお話を 聞きました時は、胸が詰まりました。原爆記念日に 教会に行きましたら、 70ー80歳ぐらいの方々が 私に 敬礼されました。真珠湾攻撃の記念日に又 教会に行きましたら、 今日の新聞を読まないようにと言われ、 アメリカ側にも 責任があると 言われました。どのように対応したか 覚えていません。 日系人の家族は 子供たちから 自分達は どっちなのと聞かれます。被害者も加害者も 今でも 苦しいのが 戦争です。世界に 平和を!!! 神の国 又 ようんでみようと思いました。 過去にどれだけの人びとが 平和を 叫んだでしょうか。

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