2013年8月9日金曜日

長崎・原爆の日。小・中学生たちに語り部を勤める。ヘイワを

8月になって、いちばん暑い日が来た。長崎・原爆の日です。生涯で、この日だけは、忘れない。母・田川ワサの命日である。この日は特別に過ごしたい。そんな気持ちがある。3ヶ月ほど前から、長崎市内の、私立の女子小・中学校の教頭先生から、原爆体験を語ってください、と頼まれた。「体調が、よかったら、勤めましょう」。心配していたが、健康は大丈夫だ。朝、教頭先生が迎えに来て、学校へ行く。子供たちを前に、久しぶりに燃えた。少女たちは、熱心に聞いていた。前の列が小5、小6。後方が、中学生たち。まる1時間、立ちっ放しで、最後は、顔が高潮してくるのを覚えた。「まだ、まだ、ゲンキは、あるぞ」「くたばって、たまるか」。我が原爆体験は、廃墟と化した丘で、18日間を過ごした。風呂に入らず、汗にまみれ、水を飲み、煮炊きして、眠った。そこには、語り尽くせぬ、なまなましい現実があった。いまでは、とても考えられない体験の数々だった。それを語れば、話の途中で、何人かの女の子が気分が悪くて、退場した。それでも、語るよ。「原爆の日の朝、お母さんと一緒に朝食を食べた。かあちゃん、行ってくるからね。お母さんは、その日、悲しそうな表情をしていた。家の外へ出て、また声をかける。行ってくるケンね。お母さんは、行ってイラッシャイ、と言わなかった。ただ、やさしいホホエミを与えてくれた。それが別れだったのです。68年たっても忘れない。原爆、2度と有ってはならない。戦争も2度と起こしては、ならない。皆さんの時代には必ず平和になるよう、皆さんの努力で築いてください」。話した後、大きな疲れを覚えた。疲れはあったが、今日は、いい、役目を果たしたと、気分は爽やかだった。

1 件のコメント:

  1. お疲れ様です。体調に恵まれ、熱い語りができたようですね。
    お母様がやさしくほほえんで、仕事に送り出してくれた。それが最後の姿。

    田上長崎市長の「平和宣言」で若者に向けたメッセージが印象的でした。少し長いけど、引用します。

    < 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

     あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。 >

    長崎の平和祈念式典は高校生が進行役を務めるところが素晴らしい。被爆者の平均年齢は78才を超えたそうですね。平和のバトンを若い人たちが受け取り、次世代へ渡してくれるよう、祈念しています。

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