2012年11月3日土曜日

墓参り。誰もが、老いて、病んで、死んでいく。覚悟あれ

11月はカトリックで、死者の月。墓参りに出かける。長崎・浦上の赤城のカトリック墓地にある。修道会、司祭・修道士の納骨堂。39人の修道名・名前が刻まれている。連なる故人の歳を見れば、私より歳上の故人は、5人いた。「みんな、若くして召されているのだなあ」。いちばん若い故人は、18歳。彼は神学生で、同級生だった。いちばんのお年寄りは、有名な、103歳で亡くなったセルギウス修道士さん。殆どの故人を知っている。ただ、2人だけ、戦争中に亡くなった修道士と、シベリアへ抑留されて亡くなった神学生だけを、知らない。自分も古いニンゲンになったといえる。いろんな死に方の思い出が浮かんでくる。夕食に焼肉を食べて、満足して、その夜、「イエス、マリア、ヨゼフ」と唱えて亡くなった者もいる。なかには「死ぬのは、怖い」といいながらも、92歳まで長生きした修道士もいる。「誰が、いちばん、価値ある生き方をしたか、天国へ行ったらわかる。この世の価値と、天国の価値は違うもんな」と言った者もいた。死んでしまえば、みな善人だよ。彼らの安息のために、ロザリオ1連を祈り、サルべレジナを歌った。死者のため、祈りながら、考える。「これから先に、課題が、3つある」。その1、老いていくこと。その2、病気に耐えること。その3、安らかに死ぬこと。歩んできた人生は長かったが、これから先の人生は短い。信仰の基本は、そもそも何か?①神の存在を信じること。②聖書の出来事を信じること。③永遠のいのちを信じること。見えないものを信じて生きるか。見える確実なものだけ掴んで生きるか。納骨堂を前にして、秋の日差しを受けていた。

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