2012年9月13日木曜日

入院16日目。退院の朝。新しい感謝の人生が、また始まる

廊下の遠く、2人の人影。ご聖体を捧持した神父さんと、カンテラを下げた看護師部長のシスター。廊下で待って、ご聖体を受けた。退院の朝です。ご聖体にも、神父さんにも、先生にも、看護師さんにも、介護した人、皆さんに、また日記を見守ってくださった多くの皆さんにも、心から感謝を申しあげます。ありがとう。またイノチをつなぎました。病苦のとき、祈ることは出来なくても、愛することは出来るでしょう。苦しみ、痛むとき、神のご意思は、何ですか。少しでも、いいから、果たしなさい。若いときに憧れた、豊かな内的生活。自分の召命である成聖の道。今、なお修道者であるのを、忘れるな。『今』という瞬間を、セイ一杯、生きるとき、内的な喜びは、きっと、じわーっと、湧いてくるでしょう。★退院まえの祈り。「主よ、あなたは、いつもソバに居られましたか」。介護した人、看護した人、見舞った人、よきサマリア人のなかに、主は、居られた。「わたしも、そのような人に、なりたいです」


3 件のコメント:

  1. ご退院おめでとうございます。
     病苦の時、祈ることはできなくても
    愛することはできるでしょう。」のお言葉に
    打たれました。
     やはり、イエスさまは、そばにいらっしゃいます。
    尚、どうぞおだいじに。

    返信削除
  2. おめでとうございます。
    人のなかに主はおられるんですよね。
    その主を発見する心をもって、「わたしだってそのような人になりたいです」

    明後日は、長寿感謝のミサを捧げます。
    「敬老の日。おめでとうで」はなくて、「長寿をともに感謝する日」にしたいのです。
    小崎さんの明日につながる命。「ご長寿を感謝いたします」
    またあすにつづく、人間味あふれるブログを楽しみにしています。
    ご自愛ください。

    返信削除
  3. ご退院おめでとうございます。
    お祈りを続けます。

    ご自愛ください。。

    返信削除