2017年9月20日水曜日

歳とれば、誰でも、もらえる、脳減る(ノーヘル)賞

敬老の日の祝賀会の終わりは、バンザイでした。みな、はりきって、バンザイしました。「また来年も、敬老の日を迎えることが出来ますように」。心を込めて、手をしっかり上げました。
★今日は、朝から長崎市へ。クリニックの定期の診察日です。朝食は、隣の修道院の食堂で、パン1きれ、牛乳を飲んで、済ませました。高原修道士さんの運転で、出かける。クリニックに着くのに、1時間15分はかかった。待合室は大勢の患者さんで座る席もないほどだった。「こりゃ、時間が、かかるな」。観念して、呼ばれる時を待ちました。お医者さんから「田川ブラザー」と呼ばれるのに、2時間はかかった。辛抱強く、覚悟をして待ちました。別に変わりはない。9月27日から、10月5日まで、諫早総合病院に入院して、ステントの入れ換えをします、と報告した。自分にとっては苦難の日々です。じょじょに覚悟を決めています。 診察が遅くなり、ホームには昼食までは帰れないので、連絡して、途中で、食事をした。ハンバーグを食べた。ホームへ戻ったのは、3時前だった。
★クリニックの待合室で、長く待つので、「シルバー川柳」の本を見つけて読んだ。その中の一句に笑った。「歳とれば、誰も、もらえる、脳減る賞(ノーヘル・ショウ)」

2017年9月19日火曜日

夜のお客さんは、珍しい、にこやかなシスターだった

夕食が終わって、くつろいでいると、「トン、トン」と自室をノックして、シスターが現われたので、びっくりした。しかも「ローマから、来た」。ホームの事務長さんの娘さんです。「まあ、よく、ローマから来たのね」が、こちらの挨拶。始終、シスターの、にこやかな顔、安らかな雰囲気に接していると、こちらが何だか非常に嬉しくなる。話は一方的に、興味深く、質問攻めをつづけた。
★次から次に、途切れることなく話しかける。答えが、こちらに飛び込んで来る。「何を専攻しているの?」。返ってきた言葉が、むかし流でいえば「公教要理」「え?そうなの」。それを聞いて本当に嬉しくなった。信者の基本は、今でも公教要理だと思っている。私たちの子供の頃は、時間をかけて、みっちり公教要理を教えられたし、1冊の本をマル暗記した。いまでも、それが生活の枠組みになっている。特に、私の場合、本当に親切に教えてくれたのは、「あねさん部屋」のシスターだった。優しい、こんなに優しい人が居るのかと、子供ながらにも思ったほどです。そのシスターは聖人のように有徳のうちに神に召された。そんな、こんなで、話は尽きなかった。
★事務長さんが「ローマにも送ってやりたいから」と、『トマさんのことば』を3冊送った。手紙は早く着いたが、印刷物の本は2週間遅れで、やっと手にして喜んだという。2冊は他の日本人のシスターに分けて与えたそうです。「ブログも読んで、楽しみに、ホームの話題や写真が懐かしい」と言ってくれた。「フランスのジャムさんにも会いました」。今年の7月末に、ホームに訪ねてきた男性です。日記に載せている。
★珍しいお客さん、ローマからのシスターに会えて、心温かく、穏やかな気持ちになった。もう、しばらくの間、ローマで学ぶという。健康を大切に、沢山、見て、体験して、心豊かで、謙遜なシスターになってくださいと祈っています。

2017年9月18日月曜日

「老人よ大志を抱け」。愛に目をさませ。真実を見よ

敬老の日です。歳をとるのは、ありがたいことです。老いると、痛みや不自由なところも出てきますが、生きるのは嬉しいです。いつ頃、書いた絵か知らないが、目に留まったので載せました。「少年よ、大志を抱け」という言葉に似せて、痩せても枯れても、まだ「大丈夫だ」と言いたかったんですね。少年の大志とは、夢と希望を持って、前に進めということでしょう。老人に「大志」はないのだろうか。いや、「老人よ、大志を抱け。喜びと、感謝と、気力を持って、前を向け」と言いたいです。生きている限り、人生に花は咲くでしょう。今まで、生かされてきた人生を喜びたい。「よくぞ生きて来られたな」が実感です。
★ホームに入っても覚えてくれている人がいる。昨日は、2人の男性が、「トマさん」と言って、自室を訪ねてくれた。2人とも、長崎・中町教会の信徒という。「トマさんの日記(ブログ)、毎日、読んでいますよ」。嬉しいことを言ってくれるじゃないですか。「トマさんのことば、読んだ?」「いや、まだ貰っていない」「じゃあ、差し上げよう」。彼らは、長崎の老舗のカステラを置いて去った。老いても、ホームに入っても、まだ忘れられていない。縁をつづけるのは嬉しいです。
★ホームに入ると、皆さんは、お年寄りばかりです。でも、まだ、まだ、花は開くぞ、と叫びたい。自分で、自分の背中は押せないが、グイと、押してくれる御方がいる。前に進めと愛してくださる御方がいる。老人にとって「大志を抱け」とは何だろう。痩せても枯れても存在自体が、「御方の愛に抱かれている」。愛に目をさませ、ということかも知れない。

2017年9月17日日曜日

敬老の日のお祝い。華々しい式典、祝賀会がある

ホームで、敬老の日の式典と、祝賀会が行なわれた。聖歌から始まって、数々の挨拶、それに88歳(米寿)2人の女性、99歳(白寿)2人の女性にお祝いの花束が贈られる。職員の表彰もあった。勤続20年を迎えた職員2人に、賞状が贈られる。看護師さんと、介護師さんだった。
★介護師さんは、北海道の出身で、長崎まで来て、18歳で、故・中村修道士さんの勧めで、ホームに入った。結婚もして、女の子がいる。「はな」ちゃんのお母さんだった。20年、勤められてご苦労さまです。
★式典の後で、祝賀会があった。入居者の家族も見えている。嬉しかったのは、修道会の仲間(兄弟)が、テーブルを囲んで集ったことです。大曾神父ま。西山神父さま。瀧神父さま。それに隣の修道院の浜田神父さま、橋口修道士さん、高原修道士さん、小長井修道院の山下神父さま、萩原神父さま、などが集って、一緒に食事が出来たことが本当に喜びであり、心が穏やかになりました。長生きできるのは、神さまのお恵みです。イノチは神さまのことです。
★大きな台風が接近で、日曜日の朝のミサには出席できなかった。そのかわりに、午後の4時から、教会で、ミサが行なわれます。そのミサにこれから出かけます。

2017年9月16日土曜日

長年にわたって人生に「つながる」不思議に感動

「愛の花びらは、いつまでも枯れない」。自著、コルベ神父の「身代わりの愛」のサインは、いつも、この言葉を使っている。尚子(ひさこ)さんは、この言葉を書いた色紙を私からもらった。その言葉が好きで、結婚して、女の子が生まれたら、この言葉から名前を付けよう、そう思っていた。願った通りに実現した出来事を、お便りから、2日前の日記に書いた。すると、尚子さんからのコメントが入っていて、「ありがとう。嬉しかったです。いつまでもお元気で」と記されていた。
★突然、ホームに届いた1通の尚子さんの便りは、私に大きな感動を与えた。こんな出来事が、長年にわたって、人生に「つながっている」ことの不思議さ、このような一連のドラマは、めったにない出来事と強く感じている。
★そもそも実話は、この赤ちゃんの写真から始まる。35年前、尚子(ひさこ)さん、7月12日に誕生。10月10日、コルベ神父の列聖式の日に、洗礼を受けた。霊名は「マリア・コルベ」。当時、騎士誌では、コルベ神父の列聖を記念して、コルベの洗礼名を頂いた赤ちゃんの写真を募っていた。騎士誌宛に送られてきたのが、この写真だった。写真には「ママから、ひと言」が付いていた。「結婚6年目に、やっと子供を授けて頂きました。主人がコルベ神父さまを尊敬しており、子供が生まれたら絶対に名前を頂くのだと張り切っていました。女ながらに、コルベ神父さまの列聖日(10月10日)に、めでたく『マリア・コルベ』の霊名を頂きました。写真は1歳の誕生日の時です」
★赤ちゃんの写真は「わが家のコルベちゃん」で、騎士誌に紹介された。(1984年1月号)。掲載した後、写真と、手紙は、ある部分を切り抜いて、聖コルベ館の「アルバム」に保存した。これが良かったんですね。そして誕生から、14年が経過する。
★尚子さんは中学生になっていた。下関市内の3つの教会の中学生たちが10数人、聖コルベ館を訪れた。その中に、初めて長崎へ来た尚子さんが居た。私は大層喜び、尚子さんにアルバムを見せた。「自分の洗礼名の聖人の記念館って、どんな所だろうかと思って来ました。赤ちゃんの写真が残されているのを見て、びっくりしました」。それが記念に撮った、この時の写真です。
★それから、また、何十年経ったであろうか。今の度、ホームに突然に手紙が来て、愛するご主人が居り、愛する5人の子どもたちに恵まれ、女の子には、「愛の花びらは、枯れることはない」の名前を実現しました、と書かれていた。「愛花」「結花」「聖花」です。それには、全くびっくりした次第です。男の子には、父の名前を頂いた。父の名前は、赤ちゃんの写真に添えて、父の文章があり、最後に、「照雄」と書いてあった。男の子は名前を分けて、「照悟」「雄悟」と付けた。
★その後、あの中学生は、どうなったであろうか。電話で尚子さんに聞いた。高校は看護学科を卒業し、長崎の女子大学で保育科を専攻した。「父が病気になって、度々聖母の騎士のルルド参りをしました」。長崎に縁があったわけだ。保育所で働いているとき、会社員のご主人、アシジのフランシスコ俊雄さんと結婚した。
★電話で尚子さんが言う。「6年間も生まれなかったのに、私は6年間に5人を生みました」。上が小6の男の子で、「コルベ」を名付けた。下は、年中組みの女の子だそうです。
★子どもの成長と共に、これからが大変な苦労があろう。苦労があれば、喜びも大きい。母の手で、大家族を温かく包んでください。必ず聖コルベが、マリアの愛で守ってくださる。聖コルベは家族の保護者です。家族が居る父親のために、餓死刑を引き受け、愛の殉教者となった。必ず、あなたの家族をも導いてくださる、と伝えた。
★私にとっては、昨日も、今日も、この家族の実話で、心は嬉しくて、楽しくて、こんな事は2度と起こらないだろう、と心に強い弾みを感じている。

2017年9月15日金曜日

朝からのニュースで、北朝鮮が核弾頭を打ち上げた

母と、私の小学生の頃の写真です。
★今朝のテレビは全局、北朝鮮が核弾頭を打ち上げた、2度目、北海道上空を通過して、太平洋に距離を伸ばして落下した。「逃げてください」「アタマを隠してください」と、そればかりの報道だった。午後から、テレビは見ていない。
★北朝鮮の日本海に面した最も北の町に、雄基(ゆうき)がある。昭和の初め、この町には2千3百人の日本人、9千人の中国人、そして1万1千人の朝鮮人が住んでいた。両親と、伯父、叔父夫妻は出稼ぎで、私はこの町で生まれた。忘れもしない、オンドル部屋の、ツルツルした紙の感触と独特の匂いを、今でも覚えている。ひょっとすると、オンドルで私は生まれたのかも知れない。
★両親は、伯父、叔父たちと、精肉店を商売にしていた。牛や鶏を飼育するのは朝鮮人で、彼らとは深い付き合いがあり、幼児の頃の私は、白い朝鮮服を着た男たちの膝の上に抱かれて、長いヒゲが生えた男たちの愛撫で育った感触が、今は懐かしい。朝鮮の人たちは、私たち庶民にとっては、みな、良い人たちばかりで、親しみを感じた。だから朝からの報道で、北朝鮮が核弾頭を打ち上げたのを見て、悲しくてならない。「少年の頃の良い思い出があるのに」。確かに、育つに従って、日本人が、よい場所に住み、朝鮮の人たちは裏手に追いやられている現実も知った。
★私が、4歳のとき、「満州国」が誕生した。雄基から、ひと山越えた港に、人口僅かに、千3百人、うち日本人は百3十人の小さな村があった。満州国が成立すると、一気に、この村が日本人の手によって開拓され、5、6万人の日本人が住む都市になった。私と母は、伯父、叔父たちと別居して、その都市に移り住んで、商売をつづけた。小1から、中1まで、この町、羅津(らしん)で過ごすようになる。13歳のときに、長崎へ帰ってきた。
★北朝鮮が爆弾を打ち上げる報道を見るたびに、複雑な気持ちになる。私にとっては故郷であり、子ども時代の思い出も沢山ある。冬のスケート、春のスズラン畑、川遊び、土曜、日曜は、伯父・叔父さんたちの町に毎週出かけた乗り合いバスの楽しみ、など、また、朝鮮人のカトリック信徒や司祭も居り、教会も通って祈った。釘や鉄類を集めておくと、朝鮮アメを背負って来て、交換してくれる老人も居て、懐かしい。
★それらを考えて、今日を過ごした。日本の上空を核弾頭が飛んで行く。一体、これから、どうなるのだろう。長崎で原爆を経験しているから、なおさら恐ろしい。日本の安全は守られるのか。私には、まだ、まだ、日本人は核爆弾に無関心な気がしてならない。

2017年9月14日木曜日

1通の手紙に感動、愛の花びら名に残り、枯れない

山口県下関市の尚子さんから、お手紙と、贈り物の「明太子」が届いた。尚子さんのご家族の写真も同封されていた。両親に、子どもが5人居る。
★手紙によると、「35年前に、聖母の騎士の『わが家のコルベちゃん』に載せていただき、20年前には、騎士誌に、家族のことを『ドキュメント・キリスト信者』で取り上げて頂きました。ふとしたことから、20年前の記事を読み返すうちに小崎さんのことを思い出し、ネットで検索してお便りを書きました」
★「小崎さんから頂いた色紙の言葉に、『愛の花びらは、いつまでも枯れない』があり、気に入っていて、結婚して女の子が生まれたら、言葉から名前を付けようと決めていました。長女は、「愛花(あいか)」、次女は、「結花(ゆいか)」、愛で結ばれた花たちだったのですが、神さまから、もう、ひとり女の子のプレゼントをいただいたので、三女は、「聖花(せいか)」と名付け、『愛で結ばれた聖なる花』になりました」「男の子は父の名前を1字づつもらい「照悟(しょうご)」「雄悟(ゆうご)と名付けました」
★この手紙を読んだとき、私は長い年月があるのに、秘めた、深い「つながり」があるのを感じた。ある時期、私は騎士誌の編集長を努めていた。コルベ神父が聖人になった年、尚子さんは生まれた。洗礼が10月10日で、コルベ神父の列聖式の日であった。尚子さんは「マリア・コルベ」の洗礼名を戴いた。騎士誌では、聖コルベの列聖にちなんで、「わが家のコルベちゃん」の題で、写真とコメントを広く募集していた。70通ほどが集ったが、その中に、尚子さんの赤ちゃん姿とコメントもあった。写真は騎士誌にも載せて、写真と手紙は、分厚いアルバムに納めて残している。尚子さんが中学生のとき、聖コルベ館を訪ねて、私に出会い、自分の赤ちゃんの写真を見せてもらって、ひじょうに喜んだ日もあった。その後、下関の自宅にもお世話になって、ご家族に会って、記事に書いている。
★その尚子さんから突然にも連絡があったので、私はびっくりし、頭の中は少々混乱した。電話で聖母の騎士に連絡し、ドキュメントの記事や、アルバムの写真、コメントをファックスで送ってもらった。そうした今日、一日の行動のなかで、人生って、年月が経っても、「つながるもの」があるのを、つくづく実感し、本当に、感動と恵みの日だったと、感謝し、尚子さんの家族のために祈った。